「作家本人に面と向かってけなしていた」 “相手と刺し違えるぐらいの気持ち”で批評に向き合った「文芸評論家・福田和也さん」【追悼】

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作家本人に“面と向かってけなす”

 新潮社の担当編集者は言う。

「さまざまな内容を書いても、本拠地は文芸評論でした。作家が作品を残すように、批評する者は真贋を見抜く力、目玉とでもいうものを残すのだと話していました。覚悟して批評するからこそ、作家本人に面と向かってけなしていた。意地悪や人をつぶすことはせず、良い所は徹底的に褒める。人を育てる様子は編集者に対しても同じで、知のお裾分けを受けた思いです」

 1カ月に軽く100冊以上を読み、300枚もの原稿を書く歳月が続いた。母校、慶應義塾大学で教鞭を執り、文芸誌「en-taxi」も創刊している。

 妻の圭子さんは述懐する。

「私が知っているのは、文芸評論家として確立した後の姿ですが、届くと分かっている相手にだけ言葉を発していれば言葉が死んでしまうと、文章の語り口をさまざまに変え、広く議論や関心を起こそうとしました。挑発的な表現もありましたが、相手と刺し違えるぐらいの気持ちで批評に向き合っていました。気は強いが、小心なところもあって繊細な人です。自分の中にある空虚の感覚に迫るために文芸はずっとかけがえのないものだと話していました」

 次第に体力が落ち、近年は体調を崩しがちに。容態が急変し、9月20日、急性呼吸不全のため63歳で逝去。

 コロナ禍に遭ったなじみの飲食店を訪ねた記事で“私の言う保守はイデオロギーではなく日常生活に密着した文化”と語っていた。

「小林旭がずっと好きでカラオケで歌っていた。名を成してもぶれず、心の底を流れる下町育ちの感覚は一貫していました」(伊藤さん)

週刊新潮 2024年10月3日号掲載

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