【7分で理解できる米大統領選】ヒラリーが負け、トランプが負け、そしてバイデンも敗れた

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 11月5日に行われるアメリカ大統領選挙。民主党のカマラ・ハリス副大統領が史上初の女性大統領になるのか、ドナルド・トランプ前大統領が「アメリカを再び偉大に」するのか。

 この戦いがアメリカの対立と分断の構図をより深刻にしているのは誰もが知るところである。

「民主党か共和党か」「リベラルか保守か」といった本来の対立軸以外に、「ファクトかフェイクか」という要素があることが事態をよりややこしくしているという面もある。

 アメリカ大統領選の場合、誹謗中傷は昔からつきものなのだが、近年はSNSの影響もあり、より「何がファクトか」が見えづらくなっているようだ。さらに「票が盗まれた」「移民があなたのペットを食べている」といった情報を候補者自ら発信しているので、よりややこしさが増している。

 そこでここでは、トランプ氏が勝利した前々回から今回までの流れを「ファクト」ベースできちんとおさらいしておこう。解説してくれるのは、同志社大学の元学長で、アメリカ政治外交史が専門の村田晃嗣氏。フェイクなし、遠慮や忖度(そんたく)、偏見なしの「これだけは知っておきたい大統領選の基礎知識」である(以下は、村田氏の新著『大統領たちの五〇年史 フォードからバイデンまで』(新潮選書)より)。

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ヒラリーに襲いかかった「猛獣」

 2016年の民主党の予備選では、自称民主社会主義者のバーニー・サンダース上院議員が善戦したものの、結局ヒラリー・クリントンが指名を獲得した。二大政党では、初めての女性大統領候補である。民主党内でクリントン夫妻の影響力は大きかったが、それ故に反発も強かった。傲慢なエリートというイメージも、ヒラリーにつきまとった。

 その上、様々なスキャンダルが彼女を悩ませる。国務長官時代に、彼女は時として個人のメールアドレスを公務に用いていた。さらに長官退任後、彼女はゴールドマン・サックスで3回講演し、67万5000ドルもの謝礼を受け取っていた。たちまち、機密保持の違反や金融界との癒着が取り沙汰された。

 そこに、トランプという猛獣が襲いかかった。「とびきり大きな勝利が待っている」と、この不動産王は親指を立てながら共和党大会に登場した。副大統領候補は、福音派に人気のマイク・ペンス(インディアナ州知事)である。トランプはロナルド・レーガンのように「アメリカを再び偉大に」(MAGA)、そして「アメリカ・ファースト」を呼号し、PC(ポリティカル・コレクトネス)を物ともしなかった。

 トランプは不法移民の排斥を唱え、オバマケアを批判し、NAFTAやTPPをはじめとする自由貿易協定に反対して「関税男」を自称した。彼によると、NATOすら「時代遅れ」であった。否定の政治である。「メキシコ国境に壁を造ろう」「ヒラリーを刑務所に入れろ」「ヘドロをかき出せ」と、人々の怒りと恐れを操った。ヘドロとは、ワシントンに巣くうエリートのことである。

ヒラリーの意外な敗北

 トランプは強い指導者(ストロングマン)として、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領には共感を示していた。ロシアがヒラリー攻撃の秘密工作を行い、トランプ陣営もそれに加担していたとするロシアゲート事件すら、のちに浮上する。しかも、この事件の捜査を進めようとしたFBI長官を、トランプ大統領は解任している。

 ワシントンのピザ屋の地下室で、ヒラリーとその側近が児童虐待を手がけている──まったく荒唐無稽なピザゲート事件さえ、インターネット上で大きな話題になった。やがては、「悪魔の崇拝者などが政府を支配しようとしている」という陰謀論も広がっていく。Qアノンである。

 ヒラリーはトランプ支持者を「嘆かわしい人々」と軽蔑し、マイノリティの人権を訴えた。そして、8年前にバラク・オバマと予備選を戦った時と同様に、彼女は自らの経験を強調して見せた。

 多くの人々が、ヒラリーの勝利を予想した(筆者を含む)。確かに、一般得票ではヒラリーがトランプを287万票も上回った。ところが、トランプはペンシルヴァニア州で4万4000票、ウィスコンシン州で2万7000票、ミシガン州で1万票という僅差で勝利を獲得した。いずれも、製造業が衰退し人口が減少するラストベルト(錆びついた地帯)で、かつては民主党の牙城であった。ラストベルトの多くのカウンティで、これまで共和党が容易に超えられなかった得票率38%の壁を、彼は突破したのである。

 結果として、大統領選挙人では304対227でトランプの勝利となった。ジョージ・W・ブッシュ・ジュニアに次ぎ21世紀で2人目、史上5人目の「マイノリティ大統領」の誕生である。しかも、トランプには軍歴もなければ、いかなる公職の経験もなかった。ヒラリーの経験と実績を、MAGAの赤い帽子が破ったのである。

ホワイトハウスが発信する「もう一つの事実」

 同時に実施された連邦議会選挙でも、共和党が上下両院で多数を維持したため、12年ぶりに「トリプル・レッド」が成立した。ただし、民主党は下院で6議席、上院でも6議席増えたので、大統領当選の波及効果ではなかった。また、ニュート・ギングリッチ元下院議長らを例外として、共和党主流派は当初トランプと距離を置いており、新政権と連邦議会が良好な関係を築くことは容易ではなかった。実際、この連邦議会の下で、予算案の対立から、トランプ政権は1カ月以上も政府機関の一部閉鎖に追い込まれる。また、共和党系の外交専門家の多くも、トランプに反対の姿勢を示していた。

 16年前(2000年)にアル・ゴアがブッシュ・ジュニアの大統領就任式に出席した折の心境に思いを馳せながら、ヒラリーは元ファーストレディとして夫と共に、トランプの大統領就任式に赴いた。ヒラリーは回顧している。「深呼吸。胸いっぱいに空気を吸いこむ。こうするのが、正しいことだ。どんなに辛くても、この国で民主主義がまだ通用することを見せておく必要がある。息を吐く。悲鳴を上げるのはあとにしよう」

「私たちは一緒にアメリカを再び偉大にする」――就任式でトランプ新大統領が豪語する一方、全米、否、全世界で抗議デモが起こり、60人もの連邦議会議員が就任式への出席を拒む中で、70歳と史上最高齢の大統領は単純で鮮烈な惹句を繰り返した。また、この大統領就任式に参集した人数は「過去最高」と、ホワイトハウスは実際とは異なる「もう一つの事実」を披瀝した。

トランプの敗北

 時計の針を前回の大統領選(2020年)にまで進めよう。

 現職のトランプがコロナ感染症対策でもたつく中、2020年の民主党予備選では、ジョー・バイデン前副大統領の他に、左派のサンダース上院議員やエリザベス・ウォーレン上院議員らが出馬した。いずれも高齢の候補者である。党を刷新し、なおかつ、トランプを打倒する──民主党にとってこの両立は困難であった。4月にはサンダースが撤退し、バイデンの指名獲得が確実になった。民主党はトランプ打倒のために、早々に団結を選択したのである。

 副大統領候補には、ハリス上院議員(カリフォルニア州)が選ばれた。副大統領候補として、女性では3人目、黒人女性としては初めての登用であった。インド系の母を持ち、初のアジア系副大統領候補でもあった。彼女はカリフォルニア州司法長官から上院議員に転じて3年にすぎなかったが、女性、非白人、そして55歳(ベビーブーマー世代)と、高齢の白人男性バイデンの補完が期待された。ただし、彼女の政治姿勢は慎重で、時としてマイノリティを失望させる。

 11月3日の大統領選挙も激戦となった。コロナ禍で郵便投票も増えた。これは自動車を持たない貧しい層には便利であったため、民主党は支持し、共和党は不正の温床と警戒した。結局、トランプは2016年の前回選挙を1100万票も上回る7400万票以上を獲得した。共和党の大統領候補としても、再選をめざす大統領としても、これは史上最多の得票数であった。だが、バイデンが獲得した一般得票数は8100万票以上と、トランプ票を凌駕し、選挙人獲得数ではバイデン306人、トランプ232人となった。

 しかも、民主党は上院では3議席増やして50議席となり、下院では10議席減らしたものの多数を維持した。つまり、トリプル・ブルーの出現である。1932年のハーバート・フーヴァー以来、トランプは初めてホワイトハウスと上下両院のすべてを失う大統領になったのである。

敗北を受け入れず

 しかし、トランプは敗北を受け入れなかった。「この選挙は盗まれた」「死者まで投票している」などと主張し、大統領は訴訟を次々に起こした。

 集票マシンに細工があったと論じたトランプ陣営の弁護士は、のちに製造会社から名誉棄損で訴えられ、あれは法廷闘争のための方便だったと開き直った。また、期日前に投票した高齢者の多くが亡くなっていたから、死者が投票していても不思議ではない。トランプ陣営の起こした訴訟は、裁判所にことごとく退けられていった。

 2021年、大統領就任式のわずか2週間ほど前の1月6日には、連邦議会議事堂が襲撃された。2020年大統領選挙が「盗まれた」と激高して、数千人もの暴徒が議事堂に殺到し、バイデン当選の確定を阻止しようとしたのである。議員たちは逃げまどい、連邦議会の機能は一時中断した。翌日の未明にようやく、マイク・ペンス副大統領がバイデン当選の確定を宣言した。

 この騒動で警察官を含む5人が死亡し、のちに1人が自殺した。事実上の内乱であり、テロ行為であった。南北戦争の契機となった1861年のサムター要塞襲撃事件、さらには、2001年9月11日の同時多発テロ(9・11)を、この事件に重ね合わせる者も少なくない。そのため、バイデンの大統領就任式には、2万5000人の州兵が警備に当たっていた。首都はまさに要塞と化していた。

 しかも、この大統領就任式には、前任者が不在であった。この日の朝に、ドナルド・ジョン・トランプは自らの離任式を済ませると、早々にフロリダ州の別荘マール・ア・ラーゴに去っていた。

 トランプを除く3人の大統領経験者、ビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ・ジュニア、そして、バラク・オバマは、いずれもマスク姿で参列した。だが、彼らの老いは覆い隠せず、21世紀の歴史の速さを物語っていた。オバマとカマラ・ハリス、つまり、黒人初の元大統領と黒人初の新副大統領はハイタッチで挨拶を交わした。

 12年前に副大統領に就任した時と同じ聖書に手を置いて、バイデンが大統領就任の宣誓を行った。新大統領は厚手の黒いコートに身を包み、パウダーブルーのネクタイを締めていた。「今日はアメリカの日、民主主義の日である」「民主主義は貴重であると同時に、脆い」「私はすべてのアメリカ国民の大統領になる」「私たちは同盟関係を修復し、再び世界に関与する」と、バイデン新大統領は呼びかけた。

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 トランプ氏であろうとバイデン氏であろうと、大統領のスピーチは常に前向きで、理想を掲げたものになっている。しかしそれが任期中に現実にどれだけ落とし込めているのかは疑問が残るところだろう。誹謗中傷合戦のみならず、暗殺未遂事件が連続している状況はあたかも内戦前夜のようだ。

 村田氏は同書の中で、次の様に指摘している。

「果たして、アメリカは再び喜びの朝を迎えうるのか。そして、『希望と歴史の詩』が紡ぎ出されるのか。まだ、われわれはその答えを得てはいない。まずは、なぜここまでアメリカの内政と外交が混乱したのかを、改めて問わなければならない」

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