「右」と「左」の違いは“言葉の雰囲気”だけ? 「実は同じことを言っている」は珍しくない(古市憲寿)

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「日本の伝統を守り、家族や地域の絆を復活させます」。そんなことを公約に掲げる政治家がいたら、恐らく「右」や「保守」と判断されるだろう。

 では「文化的多様性を大切にしながら、全ての人がつながり合う包摂的な社会を実現します」なら? 今度は「左」や「リベラル」っぽいと感じる人が多いのではないだろうか。

 だが実は二つの文章はほぼ同じことを言っている。「伝統を守る」というのは、長年にわたって受け継がれてきた文化や慣習を、次世代に引き継ぐこと。西洋文化一色になりそうな時、日本文化を守ろうとする時にも「伝統」という言葉が使われる。つまり「文化的多様性を大切にする」と言い換えることもできる。

 同じように「絆」という言葉も、「包摂」や「連帯」「共生」と言い換えた瞬間に、「左」っぽくなる。厳密には「絆」は特定の共同体における調和を想起させ、「包摂」はより開かれたつながりを意味するが、両者が目指す社会像に大きな違いはない。「右」も「左」も、信頼できる友人や家族がいて、誰一人として孤独にならない社会を否定はしないだろう。

 このように、国家や共同体を重視するフレーズは「右」っぽく、個人の選択と平等性を重視したフレーズは「左」っぽく聞こえるが、内実は非常に似ているということが珍しくない。

 言葉一つで政治的なメッセージは大きく変わる。「左」っぽく聞こえる「市民活動」は、「地域の絆を深める取り組み」や「国と地域を支える奉仕活動」と言い換えたら一気に「右」が喜びそうなフレーズになる。他にも「平和運動」は「安全保障への取り組み」、「グローバルな協力」は「国益を守る国際連携」といった具合に、言い回し一つで印象は左右される。

 何が言いたいかといえば、今の日本における「右」や「左」の違いは、かなりの部分を雰囲気に負っているのではないかということだ。もう10年以上、「右」の自民党政権が続いているが、その間にも最低賃金引き上げや子育て支援制度の拡充、不妊治療の保険適用範囲拡大など「左」とも見える政策が実現してきた。

「右」「左」ではない分類の方が、政治的な価値観の差を適切にふ分けできるのかもしれない。たとえば「上」と「下」。高齢者からすれば社会保障は手厚い方がいいものの、より長く社会を生きる下の世代にはそれが負担になっている。民主主義の特徴には、常に多数派が変わり得るという点があったが、「上」「下」でいくと、高齢化の進む社会では常に「上」が多数派になってしまう。

 もしくは「前」と「後」。前向き(楽観的)か後ろ向き(悲観的)かによって政治観は大きく変わる。「前」からすれば、高齢化した日本さえも「課題先進国」となる。AIやロボット技術が人手不足や介護問題を全て解決してくれるというのも「前」。あまりに前のめりになり過ぎると転倒リスクがある。前後でも中道くらいをオススメしたい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年10月3日号掲載

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