菊池桃子がデビュー40周年事業で「恩人の有名作曲家を怒らせた」 度重なる“無礼”に「もう二度と彼女と関わりたくない」
今年、歌手デビュー40周年を迎えた菊池桃子(56)が有名作曲家とトラブルを抱えていたことが「週刊新潮」の取材で判明した。作曲家は9月18日に発売された菊池の40周年記念ベストアルバムに多くの楽曲を提供していたが、制作途中で「自分の名前を一切載せないでほしい」とレコード会社に申し入れていた。アイドル時代から世話になってきた恩人を怒らせた菊池の“無礼”とは?
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80年代のポップ界を支えた“大御所”
菊池がトラブルを起こした相手は、作曲家の林哲司氏(75)。菊池にとって、その存在なくしてはスターダムを駆け上がれなかったと言えるくらいの恩人だ。
デビュー曲『青春のいじわる』以来、『卒業-GRADUATION-』『もう逢えないかもしれない』『アイドルを探せ』などアイドル時代に出したヒット曲は全て林氏が手がけた。
あの頃、林氏に世話になった歌手は菊池だけではない。松原みきの『真夜中のドア』、中森明菜の『北ウイング』、杏里の『悲しみがとまらない』…。記憶に残るこれら「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽は4年ほど前、約40年を経て海外でリバイバルブームが起きたばかりだ。
菊池は世界にも名が知れ渡る“音楽界の大御所”を怒らせてしまったのである。
自分から「詞を書きたい」と言い出しながら…
ある音楽業界関係者が明かす。
「今から2年ほど前、新曲を出したいと考えていた菊池が林さんに作曲を依頼したのがトラブルは始まりです。菊池は前内閣審議官の新原浩朗氏と結婚後、所属していた『パーフィットプロダクション』からすぐに独立した事情もあり、自ら直接連絡を取ったそうです。林さんは久しぶりの連絡に驚いていましたが、『桃ちゃんのためならやるよ』と快諾しました」(同)
そして22年7月、アイドル時代の曲に加えて35年ぶりのタッグで作った新曲2曲を収録したアルバム『Shadow』をリリースした。
このアルバムの制作時から、林氏は菊池に振り回されていたという。
「当初、林さんは作詞を、以前菊池の楽曲で組んだことのある2人の作詞家に依頼していました。しかし菊池が『自分で書きたい』と言い出したのです」(同)
だが、いくら待っても菊池は詞を送ってこなかった。しまいに、
「『やっぱりできません』と言ってきた。急遽、林さんは作詞家達にまた依頼し直さなければならなくなり、恥をかかされてしまった」(同)
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