巨人優勝 MVPに「菅野」より推したい投手と、チームの雰囲気を変えた救世主は【柴田勲のコラム】

  • ブックマーク

菅野は年俸4億円を考えると「当然の働き」か

 私は打者なら丸、投手なら戸郷を推す。

 丸はレギュラーを確約されてのシーズンインではなかった。4月中は低迷したが、28日から1番に入って急上昇した。出塁率もいい(.360)、攻撃のリズムを作り打線をリードした。打線は1番と4番が固定すれば、後は自ずと決まる。

 岡本和は確かに全試合で4番を打ったが、前半戦での印象が薄い。第一、打率(.281)はともかく打点が物足りない。83だ。私ですら1968(昭和43)年、130試合で86打点を挙げている。

 吉川尚輝も全試合にスタメン出場し、守備でも再三のファインプレーを見せた。終盤は3番に入って打撃でも貢献した。本塁打数が5本と少ないものの、吉川も立派な候補の一人だろう。

 投手なら戸郷だ。開幕投手を務め、3連戦のトップとして登板して長いイニングを投げた。阪神戦ではノーヒットノーランを達成するなど12勝8敗、防御率も1.95だ。

 菅野は15勝(3敗)で両リーグトップ、昨年の4勝8敗から見事に復活した。でも菅野はアレッアレッという間に勝ってきたという印象が強い。相手チームのエース級との対戦も少なかった。とはいえ、菅野一人で12個の貯金だ。もっとも、年俸4億円を考えると、当然の働きのような気がするのだが。

 いずれにせよいろんな見方がある。ましてや記者投票だ。いまのところ、最有力候補は菅野のようだが、さてどうなるか。

阿部イズムが凝縮した試合運び

 ラストスパートの15試合、阿部イズムが凝縮した試合運びだった。投手陣には「困ったらど真ん中に投げろ」を周知徹底していたと思う。四球を出す、出しそうになったら即交代だった。

 四球は試合を壊す。昨年は与四死球数465(敬遠を除く)でリーグワースト2位だった。今年は142試合で394と減った。防御率は先発、救援のどちらもリーグ1位だ。打者陣には「甘い球を見逃すな」を徹底した。これも浸透したと思う。

 優勝にはいろんな要因があるが、阿部監督は自分の采配に自信を持ったことだろう。来るクライマックスシリーズを突破して日本シリーズに進出してほしい。

 長嶋(茂雄)さんが初めて舞ったのも広島だった。76(昭和51)年10月16日、広島に勝って前年最下位からの初優勝に上り詰めた。

 忘れられない思い出がある。翌日、帰りの飛行機の中で酒を飲んで全員でどんちゃん騒ぎをした。機長が巨人ファンだったのか。「巨人軍、優勝おめでとうございます。メンバーが乗っています。お客さん、みんなでお祝いしてください」とアナウンスしてくれた。これで大いに盛り上がった。昭和の時代の一コマだった。

 最後にもう一度、阿部監督に「おめでとう」と言って締めたい。

(ヘルナンデスは5月に途中加入すると交流戦で両リーグ5位の打率3割4分2厘を挙げた。離脱するまでの56試合では打率2割9分4厘、8本塁打、30打点。チーム打率は3、4月の2割2分7厘、5月の2割3分から6月以降は2割5分前後に上がった。得点力も改善した。成績などは28日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。