石破茂新首相の「特急こだま」語りに隠れた「楽しそうな鉄オタ話」以上の深い意図

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 9人の候補者が乱立した自民党総裁選は、1回目の投票で過半数を獲得する候補者がいなかったため、1位の高市早苗候補と2位の石破茂候補による決選投票となった。その結果、石破茂候補が逆転して新総裁に就任。10月1日の首班指名を経て、第102代内閣総理大臣に就任する。

 石破新首相は防衛大臣や農水大臣などを歴任したベテラン議員だが、新総裁に選出された際には新聞・テレビの報道各社が改めて人柄をクローズアップしている。石破新首相は多趣味でも知られ、なかでもミリタリーや鉄道はプロ顔負けの知識量と情熱を持つ。

 そんなオタクな一面は、YouTubeに開設された公式チャンネルやXにアップされた動画の数々からも垣間見える。石破氏が語る鉄道はディープな内容にも触れているので、さして鉄道に興味がない一般人が視聴しても「何のこっちゃ?」という思いに駆られることだろう。

 それらの動画で、石破氏は自身を乗り鉄だと語り、特に客車列車に乗ることが好きだと明かしている。例えば、地元・鳥取県と東京を結んでいた寝台特急「出雲」には、これまでに1,000回は乗ったという。

 寝台特急「出雲」は一般的にブルートレインと呼ばれる機関車が牽引する寝台列車だが、時代とともに技術革新が進み、その役割はサンライズ瀬戸・出雲に引き継がれた。サンライズ瀬戸・出雲に使用される車両は、客車列車ではなく電車になった。そして、寝台特急「出雲」は2006年に廃止される。

 鉄道に関する話は、「オタクが楽しそうに鉄道を語っている」と趣味の分野に矮小化されがちだが、石破氏の鉄道話には戦災復興から高度経済成長、そしてバブル経済へと歩んできた日本の政治史やエネルギー史、経済史、社会史が内包されている。

石炭から電化へ

 戦前期の昭和では、日本の電力供給手段が水力から火力へと移行していったが、火力への移行によって各地で石炭産業が盛況になった。そのため、鉄道も石炭を燃料にした蒸気機関車(SL)が主力になっていく。

 しかし、石炭の時代は長く続かない。戦後、急速に各家庭で電化が進み、石炭価格が高騰したからだ。

 当時の国鉄は、国内で採掘されていた石炭の30パーセントを消費していたともいわれる。石炭価格が高騰すると、鉄道の運行にも支障を及ぼすことは少なくなかった。

 そうした事態を回避し、安定的な鉄道の運行を目指すべく、国鉄は1958年に動力近代化調査委員会を発足させる。同委員会は通算で本委員会を40回、専門委員会を118回も開催して、鉄道をSLから電気・ディーゼルカーが牽引する機関車へ、さらに電車へと切り替えていく方針を決定した。同委員会は、15年以内に主要幹線の約5,000キロメートルを電化する目標を掲げた。

 石油資源が乏しい日本では、火力発電を推進するといっても石炭火力が主流だった。そのため、国鉄が動力近代化を推進しても石炭を燃料とするSLから石炭を燃料とする火力発電へと切り替わるだけで根本的な解決にはならない。

 それでもSLより火力発電の方がエネルギー効率はよく、しかも電気なら水力発電や石油火力・天然ガス火力など複数の発電方法と組み合わせることができる。

 そうした考えのもと、国鉄は石炭を動力源とするSLから石炭火力によって電気を生み出し、その電気で列車を走らせることを選択した。これは石炭価格高騰へのリスクヘッジとして有効だったが、そのほかにもSLの運転は機関士と機関助士の2名体制だが、電気機関車や電車は運転士が一人で済むという人員面での経済合理性も脱SLを加速させた。

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