「7月にディズニーシーへ行ったばかりでした…」 追悼「敏いとう」愛娘が語る“父の最期”と“驚きの遺品”

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「不死身の男」

「急いで病院に向かい、20分弱程度で着いたのですが、看護師さんから『2~3分前に息を引き取りました』と告げられ、目の前が真っ暗になりました。看護師さんが言うには、その日の朝、『おはようございます』と声をかけると、父は『おはよう』と返し、亡くなる直前まで大好きなハワイアンをiPadで聞いていたそうです。私が父の体に触ると、まだ生きているように温かく、顔もこちらが戸惑うほど穏やかな表情を浮かべていました。それを見て“苦しまずに亡くなって良かった”と心底ホッとしました」(実奈さん)

 実奈さんが「実感がない」と口にするのは、敏さんが過去、死線を彷徨うような「大病」と何度も格闘し、そのたびに家族も覚悟を固める経験をしてきたからだ。敏さんは14年、心臓の大動脈3本が詰まる心筋梗塞を起こし、太ももなどから5本の動脈を心臓へ移植する大手術を受けた。80歳の手前で腎臓がんを患い、腎臓を1個摘出。さらに前立腺がんも見つかった。22年夏にはコロナにも感染している。

「生還するたびに父は『不死身の男だ』と笑っていましたが、今回も最悪の事態など考えもしなかった。なんだか突然“フッといなくなる”ような最期だったため、気持ちの整理はいまもつかないままです」(実奈さん)

 火葬場の混雑から「火葬待ち」を余儀なくされ、遺体を火葬できたのは亡くなってから1週間以上経った18日のことだった。その前日に近親者のみで通夜を行ったが、参列した関係者も「突然のお別れ」に戸惑いを隠さない場面が見られたという。

「孫の顔を…」

 通夜と告別式を終えた後、敏さんが暮らした自宅の後片づけに追われていたという実奈さん。

「遺品を整理していて驚いたのは、父がこれまで自分について書かれた大量の新聞や雑誌などの記事を切り抜いたりして保管していたことです。良く書かれたものだけでなく、悪く書かれた記事も多く含まれ、賞賛も批判もすべて受け止める“昭和のスター”の生き様を見る思いでした」(実奈さん)

 神奈川県内の家は22年8月に亡くなった、実奈さんの母で、敏さんにとって3人目となる「最愛にして最後の妻」と暮らした思い出深い場所だが、10月初旬には完全に引き払う予定という。

 2年半に及ぶ介護生活を振り返り、実奈さんはいま、こんな感慨を漏らす。

「ときに『もうムリ!』と投げ出したくなったこともありましたが、父が亡くなってみると“やり足りない”や“もっと介護してあげたかった”との思いが溢れて止まりません。子供とは反対に、どんどんと(物事が)できなくなる相手をお世話するのが介護ですが、そんな子供に返っていくような父を見ていると、ふと“私も昔、父にこんな風にしてもらったことがあったな”とハッとする瞬間が何度も訪れた。私は父が48歳の時に生まれた子供だったこともあり、父から愛された記憶がたくさんあります。だから介護をしながらも、かつて注いでもらった愛情を父にお返ししているような感覚が絶えずありました」(実奈さん)

 そんな実奈さんにとって、心残りがあるとすれば「父に孫の顔を見せてあげられなかったこと」だという。

デイリー新潮編集部

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