“矛盾”と“裏切り感”が残った「海のはじまり」最終回 視聴者は不完全燃焼 「月9」への信頼を失わせるリスクも

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吹っ切れた弥生

「夏と交際していて幸せを感じていた弥生は、海とその母である水季の存在を受け入れることができず夏と別れることを決心しました。多くの視聴者は弥生につらい思いをさせている水季に反感を持ち、“復讐劇なのか”“もうこれはホラー?”など生前の水季に嫌悪感を抱く声がネットに多数寄せられています。

 ところが、最終回を何度も見直してみると、弥生はどこか吹っ切れた笑顔を見せて、第7話で海に作ってあげたコロッケを1人で食べたり、夏との交際について『楽しかった』と語ったりしています。

 確かに『夏くんのこと好きだった』『頑張って忘れようとしたらもっと寂しくなった』は切り張りであるとしても、この言葉自体、今の弥生の偽らざる心境なのかもしれません。つまり、台詞の意味が二重構造になっているわけです。そうだとしたら制作チームの手腕はかなり巧妙と言えますね」

 そういう解釈が出てくることを想定していたとしたら見事ではあるが、このドラマはそれとは次元が異なる根本的な問題点を抱えているという。

「最終回は可哀想だった弥生の救済編のようでしたが、そもそも根本的な問題は解決されていません。なぜ海を産んだ水季が実際の父親である夏に連絡を取らなかったのか、なぜ海の存在を夏に知らせず世を去ったのか。このドラマは初めからこうした疑問に答えることはなく、フラストレーションがたまった視聴者がSNSで声を上げる、そして次回を見る、の繰り返しが続くことで話題性を引き上げてきました。最終回でも、その答えが明かされないまま終了し、視聴者に不完全燃焼の感覚を残してしまったのは残念です」(前出の放送記者)

 制作サイドの意図としては、水季が夏に残した手紙の内容の公開を最終回まで引っ張ることで、視聴者の関心を高めようとしたのではないのか。視聴率を上げるために謎を残す手法は、確かに短期的には話題性を生むかもしれないが、長期的には視聴者の信頼を失うリスクがある。

 特に、SNSが発達している現代において、水季が子どもを産んでいたことを夏が知らなかったというのが不自然であり、それにもかかわらず制作サイドがSNSで盛んに番組をPRしていたのは矛盾でしかない。謎が解決されなかった「海のはじまり」は、フジの看板枠である“月9”が「期待感を持たせながらも、視聴者が求める満足感を与えられない」というイメージの固定化につながるのではないか。

 テレビ局の営業関係者がこう指摘する。

「このような手法は一見すると巧妙に見えますが、視聴者にとっては“裏切り感”を高めることがあるため、作品への評価やブランドイメージに悪影響を及ぼす危険があります。視聴者が真剣に捻出した時間や、感情に対して解決をスルーすることは、結果として作品全体の魅力を損ねる危険があると批判されても仕方ありません。主演が人気グループの目黒蓮であったことや、その演技の集中力が評価されて結果的に好視聴率を残しましたが、“月9”というフジの看板枠にとって本当に財産になったのか、議論を呼びそうです」

 今後、視聴者はどのような判断を下すのか。

デイリー新潮編集部

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