ドラマ「極悪女王」が絶好調スタート 絶賛の嵐を呼んだ「全女ブーム」のリアルすぎる描写

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37年の歴史に幕

 作品のクライマックスは、ダンプが同期の大森と組んでクラッシュと対戦した引退試合だ。自分たちが直面したレスラーたちの給与、ケガをした場合の補償がないことなどの待遇改善を再三、上層部に申し出たが受け入れられず、会社の強硬な引き留めに従わず、同期の大森も賛同して引退を決めることに。

「後に、『ダンプが引退したとき、私の半分が死んだ』と語っていた長与は89年、飛鳥は90年に引退してクラッシュは解散。その後、ダンプの愛弟子のブル、アジャ・コング、北斗晶らが全女のリングを盛り立てることになりますが、ダンプとクラッシュの抗争以上には盛り上がらなかった」(同)

 91年にバブルは崩壊したが、ダンプとクラッシュの引退後、全女のプロレスバブルも、創業家一族の浪費により崩壊が始まっていたのだ。

 その後の全女は97年10月、2度目の不渡りを出したため、銀行取引停止処分を受け、フジの中継も打ち切られる。何とか興業は続けたものの、負債総額は04年12月の時点で約30億円に膨れあがる。05年4月17日、プロレスの聖地・後楽園ホール大会にて会長の松永高司の勇退と同時に解散。37年の歴史に幕を閉じた。

 高司氏は09年7月11日、間質性肺炎のため都内の病院で73歳で死去。その際、長与に「もう一度横浜アリーナでやりたい」と遺言を残したという。そして、国松氏、俊国氏、阿部氏も天国に旅立った。

 全女の解散から19年、その全盛期を描いた「極悪女王」が大ヒットしたが、この4人は作品を観たら、どんな感想を漏らすだろうか。

デイリー新潮編集部

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