「目白御殿」でバシーンと机を叩かれ…「石破茂」新総裁が語っていた「田中角栄」に出馬を迫られた日

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“自分さえ良ければいいのか!”

 この「田中派葬」のお礼を言いに再び目白まで行った時、父の跡を継いで政治家になるよう田中先生に言われるわけですが、その頃、私はまだ24歳。父は参議院議員で、参議院の被選挙権年齢は30歳でしょう。すぐに跡を継いで選挙に出られるわけではないのでそう答えると、田中先生は、「誰が参議院に出ろと言った、衆議院だ!」と仰った。「再来年は衆参ダブル選だ、その時はお前も26だろう!」、そして、「いいか!」と言って机をバシーンと叩くのです。

「この日本で起こることは全てこの目白で決めるんだ、分かったか!」

 これはすごかったね。私も24のあんちゃんだから、たじろいでいるとさらに、

「君は自分さえ良ければそれでいいのか! 君の父親は県知事15年、参議院議員7年。君が跡を継がなかったら、これまで応援してくれた地元の人に申し訳ないと思わないのか!」

 そうまくしたてられ、「考えさせて下さい」と答えるのが精一杯でした。

 田中先生がいなかったら、私は間違いなく政治家にはならなかった。それは100%言える。今頃、あの世で父と田中先生はどんな話をしているのかなぁ……。

 ***

 上記の父の葬儀から43年。石破氏は5回目の挑戦にして総裁選についに勝利し、間もなく師・田中角栄と同じ総理大臣の椅子に座ろうとしている。泉下の田中と父はこの光景を見て、何を語らっているのだろうか。

デイリー新潮編集部

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