「目白御殿」でバシーンと机を叩かれ…「石破茂」新総裁が語っていた「田中角栄」に出馬を迫られた日

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 晴れて新総裁となった石破茂氏(67)。その父親は、鳥取県知事や自治大臣を務めた故・石破二朗氏だ。亡き父は生前、10歳下の田中角栄と交誼を結び、その人柄に心酔していたという。父の葬儀の後、まだ20代前半だった石破氏は、角栄氏に目白の自宅に呼ばれ、出馬を迫られた。石破氏はかつて「週刊新潮」誌の取材にその時の記憶を語っている。記事を再配信し、新総裁の政治家としての原点を明らかにしてみよう。
(「週刊新潮」2015年12月17日号記事の再掲載です。文中の年齢、役職、年代表記等は当時のものです)

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 私の父親は1981年の9月16日に他界しましたが、その1週間くらい前に「田中に一目会いたい」と言う。それを田中先生にお伝えしたら、すぐに父が入院していた鳥取市内の病院まで飛んで来られましたよ。

「最後の頼みだ。葬儀委員長をやってくれ」と父に言われた田中先生はその足で当時の鳥取県知事に会い、「私は石破君から葬儀委員長を頼まれたが、石破君は知事を4期15年もやった実績から言って県民葬になるだろう。葬儀委員長は君がやってくれ」と依頼し、葬儀では友人代表として弔辞を述べるわけです。

田中先生は魔人

「葬儀委員長をやると約束したのに、君の実績ゆえこうして県民葬になった。友人代表として弔辞を述べることを許してくれ」

 涙ながらにそう語りかけていましたが、普通であればそれで義理を果たしたと思うでしょう。

 ところが後日、私が目白まで行ってお礼を言ったら、

「おい、あの葬式には何人来たんだ」と聞かれるので、「確か3500人だったと……」と答えたら、すぐに秘書の早坂茂三さんを呼んで、「4000人集めろ! 青山斎場を予約しろ」と言い出しましてね。私が「な、なんですか?」とおずおず尋ねると、「お前の親父と約束したんだからな。俺が葬儀委員長で葬式をやるぞ」と言うのです。それが、最初で最後の「田中派葬」と言われるものになりました。派閥が主催する葬式なんて聞いたこともないね。父は大臣までやっているから、自民党葬でもよかった。ただ、党葬にしていた場合、葬儀委員長は時の総理大臣、鈴木善幸先生になっていたでしょう。そこで田中派の衆参両院議員全員が発起人になってね。田中先生は葬儀委員長として泣きながら弔辞を読むのです。

「石破君、きみとの約束を俺は今日、こうして果たしているぞ」

 こういうことは権力さえあればできる、金さえあればできる、というようなものではない。それを超えた何かがあったんだろうね。発想力や決断力、いずれも常人の及ばざる類まれなるものがあった。私は、田中先生は人間じゃない、「魔神」だと思っている。

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