「ジョブズはアスペルガーだった」説は迷惑… 精神科医が説く“不利ばかりではない”社会事情
現代社会とアスペルガー的特性
わたしは裕介を、今のところは個性のレベルに留め置き、精神科医療が関わることはむしろ治療的でないと考えた。人の個性を病気扱いしなかった、ただそれだけのことである。
ただ、裕介自身も、幼少時から今を通じて感じている違和感は隠さなかった。学校では勉強かスポーツだけこだわってやっていればよかったが、社会人になるとそういうわけにもいかない。他人とのコミュニケーションが不可欠になってくる。そこで、問題が生じて精神保健のサポートを受ける場合もあれば、その人なりの対処や克服方法で乗り切って、発達・成長を続けていく人もいる。
むしろ最近では高名な科学者やアスリートなど、社会的に成功した人物がアスペルガー障害と診断されたことにより、アスペルガー障害に対する偏見が弱まったという見方もある。アメリカの動物学の権威であるテンプル・グランディンは、アスペルガー障害と診断されながら、社会的成功を収めた人物の代表的な例である。
しかしながら、アスペルガー成功者をあまりに喧伝するのも賛同できない。なぜならば、障害レベルの症状を抱え、社会的サポートを必要とするアスペルガーの人がいるからである。
最近では社会的成功者、たとえばスティーブ・ジョブズもアスペルガーだった、などという記事をときたま見る。たしかにジョブズにアスペルガーの傾向はあるかもしれないが、正式な診断を医師から受けたわけではもちろんなく、まして没後となってしまっては逸話ばかりが一人歩きしている。成功者伝説となっている人物にとっても、アスペルガー障害で実際に苦しんでいる人にとっても、どちらにとっても迷惑な話だ。
やはり、アスペルガー傾向を持つ人の社会機能は、ミクロに見れば職場など周囲の環境、マクロに見れば社会環境によって、大きく左右されるだろう。
たとえば研究者などは、アスペルガー障害の人に向いている職業と言われる。黙々と一つのことにこだわって打ち込むアスペルガーの特性が、最大限に活かされるからであろう。余談ながら、医学部にもアスペルガー傾向を持つ学生は少なくない。膨大な知識の暗記を求められる医学は、まさに彼らの特性を活かせる領域とも言える。
アスペルガー傾向のある人にとって現代は「不利」でも「有利」でもある
異常か正常かは、時代背景によっても変わってくるかもしれない。アスペルガー障害の特徴として、数字や論理には強いが、感情表出や目と目を合わせる活きたコンタクトが不得手なことが挙げられる。ということは、接客や営業など巧みなコミュニケーション技術を要する業種に向かないことは明らかだろう。コミュニケーションをますます重視する社会の流れには、残念ながら抗えない。
しかし、アスペルガー傾向のある人にとって時代が不利にばかり動いているわけではない。たとえば急速なIT化が著しい現代を生き抜くには、感情よりも論理優位のほうがかえって生き抜きやすい。こういった社会では、アスペルガー傾向は、障害ではなくむしろ強みとなる。
人工知能やロボットの進出は、対人接触サービスを減らす可能性があることも、アスペルガー傾向の人にとってはプラスの要因なのかもしれない。裕介のような人でも精神科外来に来てしまうのは、時代の流れだとわたしは思う。この事実を受け入れながらも、憂慮すべきは、アスペルガー障害とは診断できないレベルの人が、社会環境との摩擦から、自分の大切な個性を異常と見なしてしまうことである。
正式診断名である「自閉症スペクトラム症」の中の「スペクトラム」が示すものは曖昧である。それだけに自閉症スペクトラム症を自称してしまう者が増えてしまわないかが、危惧される点である。裕介のような人は、扱いづらいのかもしれないが、周囲を振り回して翻弄することは少ない。基本的には相手に対する想像力は乏しく、自分の枠にはまった考え方の中で生きているからである。
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この記事の前編では、同じく『自分の「異常性」に気づかない人たち』(草思社)より、祐介が精神科を受診するに至った理由や、アスペルガー障害の検査内容について詳しく解説している。