文庫版が異例のヒット『百年の孤独』は日本で映画化されていた…命と引き換えに完成させた「演劇界の鬼才」

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まずは舞台で

「寺山さんが『百年の孤独』を読んだのは、1979年のことです。たちまち魅せられたと語っていました。寺山作品の多くは、“記憶”が重要なモチーフとなっています。その同じモチーフが、小説で描かれていたことに、大興奮していました。おそらく“おれと同じことをやっている作家が、地球の裏側にいた”と思ったことでしょう。その時点ですぐに映画化を決心しています」

 その前に、まず自らの劇団「演劇実験室 天井桟敷」で舞台化している。

「1981年7月、晴海の東京国際見本市で上演されました。当時のポスターには、〈作――寺山修司(G・ガルシア・マルケス作『百年の孤独』新潮社版による)〉と表記されています。チラシには〈コロンビアの作家ガルシア・マルケスの『百年の孤独』から着想し、寺山修司が自由に書きおろした〉とある。あくまで『百年の孤独』を参考素材とした“創作”だという構えです。寺山さんは、よく“『百年の孤独』の読後感が発想の原点だ”といってました」

 元演劇記者氏は、その公演を観ていた。しかし、「よくわかりませんでした」と笑う。

「行ってみると、倉庫のような広大なスペースで、たしか立って観た記憶があります。中央に舞台があり、塔のようなものが建っている。そこから四方に花道が伸びて、その先にも舞台がある。つまり、5つの舞台があって、そこで同時に複数の芝居が展開するのです。ところが中央舞台に突起があるので、向こう側ではなにをやっているのか、観えないんですよ」

 記者氏は、寺山本人へのインタビューの際、「向こう側が観えませんでしたよ」といった。

「すると寺山さんは、『ならば、向こう側へ行って観ればいいじゃないか。観客も“参加”しなきゃ』と、平然と答えていました。ただ、そういう苦情は予想していたようで、観客にはセリフ台本が配布されました。観えない部分は、これを読め、というわけです」

 それよりも、いったい、芝居の中身はどうだったのだろうか。

「なにしろ、そんな舞台構造ですし、お決まりの寺山ワールドですから、ストーリーを楽しむような芝居ではありません。ただ、わたしも一応、小説を読んで行ったのですが、意外なほど『百年の孤独』のテイストを強烈に感じました。参考素材どころか、寺山さんなりの解釈で『百年の孤独』をストレートに舞台化したような印象です」

 公演チラシの惹句には、〈取り残された村の、この世で最後の百年! 架空の土地を舞台に、語りつがれてゆく一家族の伝奇的なロマンを、独自の演劇空間のなかに描き出す。〉とあった。これだと、たしかにガルシア=マルケス作品そのもののようにも読める。

「豚の尻尾の子ども、いとこ同士の近親相姦、殺人と逃走、健忘症、結婚式の延期、男を変死させる娘、幽霊、神父、村の教会……小説のモチーフが、そのまま登場し、闘鶏のシャモも舞台上を歩き回っていました。それだけに、時代や場所、人物名は変わっていますが、『百年の孤独』そのものともいえました」

 この勢いを受けて、寺山修司は、そのまま「百年の孤独」映画化に突き進む。だが、予想もしなかった2つの大問題に襲われることになる。

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