松田優作が「馬場さんを悪く言うヤツは許さん!」と吼えた意外な理由 プロレスラーとマンションの秘話を発掘

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 アンドレ・ザ・ジャイアントは東京都内にマンションを所有していた――「デイリー新潮」のプロレス・コラムでおなじみ、瑞佐富郎氏が数々の取材と調査をもとに、プロレスマニアでも驚くこと間違いなし、極上の秘話を発掘した最新刊が話題だ。その中から今回は文字通りのビッグ・レスラー、アンドレとジャイアント馬場のマンションに関する秘話を(以下は『アリは猪木戦の直前にプロレスラーと戦っていた プロレス発掘秘史』(宝島社)より)。

~アンドレは東京の一等地に4LDKのマンションを持っていた~

神奈川県民だったハンセン

 1976年から1978年のシーズン、読売巨人軍にクライド・ライトという外国人投手がいた。メジャーで通算100勝を挙げ、ノーヒットノーランも達成した凄腕左腕で、もちろんシーズン中は日本に住んでいた。以下はそのライト投手の述懐である。

「(同じ)マンションには(プロレスラーの)アンドレ・ザ・ジャイアントも住んでいたよ。何回か一緒に朝食を取ったけど、デカくて、ものすごい量を食べていた」(『スポーツ報知』2014年8月28日付)。

 じつは日本に住んでいたという外国人レスラーは多い。ザ・デストロイヤーは、自身が出演するバラエティー番組を放送していた当時の日本テレビの裏に住んでいたし、スタン・ハンセンは一時期、神奈川県の有名な避暑地に住んでいた。町内の祭りにも積極的に参加し、この町に住んでいたプロレスファンの知人は、祭りに行ったらハンセンが神輿を担いでいて仰天したという。アンドレについて、当時の新日本プロレスの営業担当のO氏に聞いてみた。

「事実です。都内の閑静な一等地で、当時にしては珍しく外国人が多く住んでいる場所でした。仕様もアメリカンサイズで、広さは4LDKくらいだったと思います」

 ところが、クライド・ライトが住んでいた1976年から1978年のアンドレの来日記録を見ると、なんと4回のみ。それもすべて、シリーズ後半戦の特別参戦だった。1974年、アンドレはギネスブックに「年俸世界記録40万ドルのプロレスラー」と認定されたほどの大富豪(当時の40万ドルは現在の貨幣価値で約6~7億円)。日本にマンションを買うなど造作ないかもしれないが、来日頻度の少なさを考えれば、新日本の常宿だった京王プラザホテル(東京・新宿区)に宿泊するほうが現実的だと思われる。

 アンドレの自宅のあったアメリカの田舎町、エルビィは最寄りのスーパーから30キロも離れた山奥だった。周囲の村で広まった「あの山奥に巨人が住んでる」「まるでモンスター」という噂も、田舎すぎて放送網などが整備されていない地域のため、誰もアンドレの正体を知らなかったことが原因だった。

 思い起こせることがある。そんな田舎のさらに山奥にあったアンドレの自宅の敷地は、どんどん広くなっていったという。近隣の区画を、大富豪のアンドレが買い漁っていったのだ。いつしか、敷地は250エーカーを超え、その広さは、東京ドーム約21個分であった。

 アンドレが所有した日本のマンションも、そんな自分の居場所ではなかったか。

~馬場と同じ渋谷のマンションに住んでいたカリスマ俳優~

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