「お前は金メダルが見えなかった」 栄監督にも見抜けなかった「登坂絵莉」の才能が開花したワケ(小林信也)

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吉田沙保里に誘われ

 登坂に変化が起きたのは大学1年の夏から秋。

「最大の転機は、12年の世界選手権でした。小原日登美さんがロンドン五輪で引退。ライバルの入江ゆきさんは体調不良で私に代表が回ってきたんです」

 大先輩の吉田と1年下の川井梨紗子と三人でカナダに行った。

「沙保里さんが、『3人部屋にしようよ』と誘ってくれて、ほとんど話すこともできなかった沙保里さんに親しくしてもらった。一緒に食事に出かけて、ホテルの危険なほど激しい流れるプールで遊んで。すごくかわいがってもらった。優しくて強い、沙保里さんのような人になりたいと思った……」

 その世界選手権で登坂は期待を上回る活躍を見せた。

「これも運ですよね。強い選手が反対の山に集まったので、私は決勝まで行けた」

 ベラルーシのカラジンスカヤとの決勝は2対2のまま終盤にもつれこみ、一度は登坂の優勝が宣言された。が、相手の抗議が認められ2位に終わった。

「あれは2位でよかった。あの悔しさで人が変わったように練習し始めました」

 朝練に誰よりも先に出て、体幹を鍛えた。授業の空き時間はジムに通って筋トレ。夕方のチーム練習後、夜10時の門限ぎりぎりまで道場で個人練習を重ねた。

「沙保里さんに、『世界選手権で一緒に優勝するよ。リオで一緒に金メダルを取るよ』と言ってもらった。それが励みになりました」

 監督の栄和人が振り返る。

「絵莉の練習量はすごかった。沙保里も馨(伊調)も時間内で集中するタイプ。絵莉は周りが『ケガをしないか』と心配するほど、練習を重ねて強くなった」

 世界選手権で得た最大の成果は、「世界と自分の距離がはっきり見えたこと」だ。

「いちばんの違いはパワー。でもパワーでは世界に勝てないから」、足りない技術に磨きをかけた。

「片足タックルは得意だから、足は取れる。でも反撃を受ける。ポイントを奪うまでが課題でした」

 それから栄監督の熱心な指導が始まった。

「初めて栄監督に教えてもらいました。高校時代は、私のことなんて目に入っていなかったと思います」

 片足を取ってからの崩し方、バックを取る技術を徹底して教えられた。

「栄監督は基本的なことしか教えません。その代わり、できなければできるまで付き合ってくれる。普通なら見放されるところを、できるまでやらされました。しつこさがすごいんです」

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