デビュー40周年、中村あゆみ 原点の「明大中野定時制」を振り返る フッくんのソアラでドライブも…芸能人だらけで自由闊達
同級生は芸能人ばかり
「翼の折れたエンジェル」(1985年)などで知られるシンガーソングライター・中村あゆみ(58)が、デビュー40周年を迎えた。今もアーチスト活動を精力的に行う一方、10月にはAI(42)やhitomi(48)たちが登場する音楽イベントのオーガナイザーを務める。中村はずっとエネルギッシュ。その原点は母校・明大中野高校(東京・東中野)定時制にある。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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明大中野高の略称は明中(めいなか)。その時代を振り返るときの中村は声を弾ませる。
「あのころの思い出は宝物ですね。学校は午後5時から始まり、終わるのは9時半なんですが、そこから東中野のミスタードーナツに集合し、その夜の予定を決める。店にとどまって何時間も話し続けることもありました。毎日があんまり楽しいものだから、どんなに疲れていても学校に行った」
中村が特別だったのは同級生が芸能人だらけだったところ。シブがき隊、少年隊、石川秀美(58)、奥居香(57)、三田寛子(58)らがいた。授業は1日4時間制。3年で卒業だった。
芸能人が多く通う高校は堀越学園(東京・中野)などほかにもあったものの、堀越は男女交際やコンビニへの寄り道が禁じられるなど校則が厳しかった。明中の校風はおおらか。堀越は制服だが、明中は私服ということもあり、芸能人が通いやすかった。
「自由だった分、いろんな生徒がいた」
中村たちはミスタードーナツに集まったあと、シブがき隊のフッくんこと布川敏和(59)の愛車「ソアラ」に乗って、神奈川県の湘南や山梨県の山中湖などにドライブに行くこともあった。ソアラは1981年にトヨタから発売された高級車だ。登下校時に乗っていた高校生は稀だろう。
もっとも、それ以外は世間の高校生と大きな違いはなかった。目立つことは出来ないという芸能人としての自覚があったからだ。むしろ世間と異なるのは芸能人以外の生徒だった。
「2年上のマッチ先輩(近藤真彦)が登校し、食堂に現れると、大変な騒ぎでしたよ」
近藤ら特定の芸能人の熱狂的ファンだから明中に入学したという女子生徒が少なくなかったのだ。「親衛隊」と呼ばれていたファンたちである。
マッチの親衛隊は中村にとっては2年先輩。彼女たちはクラブなどの飲食店で働いているケースが目立った。
「最後の4時間目になると、彼女たちは机に大きな鏡を置き、お化粧を始めるんですよ」
そうしないと、お店が開く時間に間に合わないのである。仕事が絡むことなので教師も大目に見てくれた。
「芸能人も一般の生徒もみんなパワーがあり、仲が良かった。フッくん、ヤッくん(シブがき隊・薬丸裕英)たちとは今も仲良しだし、芸能人以外の同級生にも親友が何人もいて、つい最近もライブに来てくれた」
芸能人とそれ以外の生徒の間に垣根がなかったのが明中の特徴の1つなのだ。中村自身、布川たちと知り合い、遊び仲間になった高1と高2の段階では芸能人ではなく、普通のOLだった。デビューの予定も一切ないし、芸能人になるつもりもなかったのだ。
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