「伴侶は5人」「薬物で5回逮捕」 奇才・川添象郎さんの次男が明かした秘話 「細野晴臣さんに譲ったギターの音色を最期に聞かせてあげようと」

エンタメ

  • ブックマーク

 突然の訃報で、その名を久々に聞いた方も多かろう。YMOやユーミンを手がけてきた音楽プロデューサーの川添象郎(しょうろう)氏が、今月8日に83歳で亡くなったのだ。斯界に数々の伝説を残す奇才の死をメディアは一斉に伝えたが、その最期について詳しく報じられることはなかった。18日に家族葬を終えた象郎氏の次男が、これまでベールに包まれてきた亡き父の秘話を明かす。

 ***

「公表した死因は急性心不全ですが、実は三半規管をつかさどる小脳に出血があってめまいがひどく、食事も満足に取れずやせこけてしまって骨と皮だけの状態でした」

 と話すのは、象郎氏の次男で音楽プロデューサーの川添大嗣(ひろつぐ)氏である。

「気さくで紳士的な父でしたが、40代の時にイギリスで心筋梗塞を起こし、心臓と血管の持病を患いました。50代で脳梗塞を起こし、激烈な性格に変わり、怒ると怖かったという人もいます。私がアシスタントとして父の傍にいた10年ほど前にも、自宅で心臓を押さえながら“うぅ”と呻き声を上げて、心筋梗塞で倒れたことがありました。私の高祖父にあたる後藤象二郎も心臓の病気で亡くなっていますので、血管が弱い血筋なのかもしれません」

お見舞いに訪れたユーミン

 幕末の志士として大政奉還に尽力した偉人の2字をもらい受けて「象郎」と命名された逸話を持つ。その名付け親である実父・浩史氏は、東京・飯倉片町の老舗イタリアン「キャンティ」の創業者だ。

 店は三島由紀夫、川端康成といった文豪をはじめ、映画監督の黒澤明、女優の加賀まりこや大原麗子など、各界の著名人、文化人が集まる梁山泊として知られ、象郎氏の名声を高めた仕事のパートナーである松任谷由実や細野晴臣も、この店の常連だった。

 大嗣氏は振り返る。

「生前、父は毎日のように『キャンティ』に通っていましたが、今年2月に倒れて都内の済生会中央病院に入院。一時は心停止になるほど重篤でしたが、お見舞いにはユーミンも駆け付けてくれたそうです。容態が安定してからは福島の病院に移り、今月2日に退院して自宅療養を始めようとした矢先、わずか1週間ほどで亡くなってしまったのです」

 新聞各紙で〈福島県内の自宅で亡くなった〉と書かれ、きらびやかな世界を闊歩(かっぽ)してきた象郎氏が、なぜ福島に――。そうした疑問も浮かんでこよう。

次ページ:2度の実刑判決

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。