「相手のうわさにすら上がっていなかった」 吉永小百合の母から「殺したい」とまで言われた夫・岡田太郎さん、乗り越えた歳月【追悼】
1973年、吉永小百合さんと岡田太郎さんとの結婚は世間をにぎわせた。当時28歳の清純派の大スターが選んだ相手は、フジテレビで活躍するディレクター。15歳年上で離婚歴もあった。
【貴重ショット】当時28歳、あまりに美しい吉永小百合の「ひとり婚約会見」
両親は結婚式を欠席
芸能レポーターの石川敏男さんは振り返る。
「岡田さんは相手のうわさにすら上がっておらず、驚いた。それは小百合さんの両親も同じでした。娘がかわいくて仕方がない。女優としての大成功を喜び、自分たちが熱心に育ててきたからとの自負もあった。小百合さんが選んだ幸せなのに、両親は結婚に納得しなかった」
式は岡田さんとフジテレビに同期入社の千秋(せんしゅう)与四夫さんと演歌歌手の畠山みどりさん夫妻の家で挙行された。住まいが広かったため急に頼んだのだ。
夫妻は後に当時の様子を本誌(「週刊新潮」)に詳細に語っている。小百合さんの両親は出席を断り、御両人と千秋夫妻以外は、吉永側の立会人として女優の奈良岡朋子さんだけの計5人で開式。〈三三九度では、お正月のおとその杯を使いました。その時、小百合さんは目が赤くなって、潤んでいました〉などとその純朴さを印象付けた。以来51年、二人は門出の気持ちを忘れなかった。
ドラマ作りにのめり込むあまり離婚
岡田さんは30年、東京生まれ。旧制都立高校(現・東京都立大学)に進む。戦後、総理府の世論調査部門で働き、54年、文化放送に入社。フジテレビに移る。
60年、「日日の背信」を演出、池内淳子を起用して女心をつかみ、昼のメロドラマのスタイルを確立したアイデアマンだ。口下手だが信頼も厚くフジ労組の初代委員長を務めたことも。
前妻との間に子はなく65年に離婚。愛をテーマにしたドラマ作りにのめり込むあまり、一人になりたくなったという。
小百合さんと初めて仕事をしたのは64年。66年の「また逢う日まで」以後ドラマの演出で会う機会が増えた。
映画評論家の白井佳夫さんは言う。
「小百合さんの両親は清純派のイメージを傷つけまいと、映画の描写にまで異を唱えることもあった」
両親の心情をくみながらも新たな役柄に挑戦したい思いも募る。小百合さんは多忙とストレスで声が出にくくなってしまう。相談を受けたのが岡田さんだ。
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