給与さえ上げれば「教員不足」は解消する? まずは時代遅れの「ブラック労働」をどうにかしてください(古市憲寿)

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 教員の人手不足が問題となっている。そこで処遇改善を狙って文部科学省が、教員の年収を上げようとしている。教員の給与には本給に加えて、「教職調整額」という項目があるのだが、それを給与の4%から13%に引き上げようというのだ。

 教員の処遇改善は必要だと思うが、素朴な疑問が浮かぶ。給与を上げるだけで人手不足は解消するのか、ということだ。

 昨今の教員に関する一番の大問題は「ブラック労働」である。2023年に公表された調査によれば、平日1日あたりの学校での勤務時間は、小学校で10時間45分、中学校で11時間1分だったという。さらに残業が月45時間を超える教員の割合は、小学校の64.5%、中学校の77.1%にも及んだ。月45時間の残業というのは、労働基準法による上限時間である。

 僕の知人にも教員がいるが、平日の残業や休日出勤は当たり前な上、時代遅れの業務の連続にへきえきとしていた。例えば出張や休暇届は全て手書きで申請、子どもの健康診断の記録も全て手書きの紙管理、前例主義でどんどん増えていく行事、地元の祭りにボランティアとして駆り出される、といった具合だ。

 つまり学校問題の根幹には、日本らしい宿痾がある。まず学校が何でも丸抱えしているという点。授業だけではなく、部活動から、地域行事まで教員に担わせようとする。

 これは子どもにとってもよくない。学校が世界の全てになってしまいがちだからだ。日本における学校とは、同じ地域に同じ年度に生まれただけで、朝から夕方まで子どもを軟禁する空間である。そこで子どもは固定されたメンバーと空気を読み合いながら、うまく協調していくすべを学ぶ。

 人間関係の流動性が低かった農村社会や、終身雇用前提の企業文化の中で、その能力は意味があったのかもしれない。だが時代は変わった。現代社会では、たくさんのコミュニティーを渡り歩くすべの方が重要だ。子どもも複数のコミュニティーを持っていれば、どこかでトラブルがあっても、他で居場所を担保できる。

 もはや時代遅れになった「丸抱え」モデルを、古臭い仕組みを継ぎはぎしながら、何とか維持しているのが現代の学校空間である。そのしわ寄せが現場の教員に来ているわけだ。

 教員不足の解消に必要なのは、学校の構造改革ではないのか。もっと部活動は地域に移行する。授業もテストも全国統一のキットを使えるようにする。教員も長期休暇は子どもと同じくらい取れるようにして、ワークライフバランスを確保する。夏休みが1カ月ある職場なら、給与が今のままでも教員は魅力的な仕事になるのではないか。

 抜本的な改革から逃げて(事実進んでいない)、給与さえ上げれば教員不足が解消されると考えるのは、役所の怠慢である。調整額をアップさせるなら、せめて働き方改革をセットにすべきだ。学習指導要領でも思考力が大事だとされていたはずなのですが。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年9月26日号掲載

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