今季も死球で乱闘騒ぎが続出…デッドボールで“選手生命”を絶たれた選手列伝

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 9月14日の広島対DeNAで、秋山翔吾(広島)への死球がきっかけで乱闘騒ぎが起きるなど、今季も死球をめぐるトラブルが相次いでいる。打者にとって死球は、一歩間違えば選手生命にもかかわる重大なアクシデントだ。過去を振り返ると、死球によって引退に追い込まれた選手も存在する。【久保田龍雄/ライター】

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折れた骨をボルトでつなぐ大手術

 清原和博に抜かれるまで通算死球数がトップだった竹之内雅史もその一人である。1979年、田淵幸一、古沢憲司との2対4の大型トレードで若菜嘉晴、真弓明信らとともに西武から阪神に移籍した。開幕から20試合で15試合4番を務めるなど、打率.282、25本塁打、66打点を記録した。右足を極端に三塁方向に踏み出し、バットを担ぐ個性的なフォームと、死球を恐れず果敢に向かっていく打撃スタイルから、“特攻隊”の異名もとった。

 だが、81年5月10日のヤクルト戦で、松岡弘から右手首に通算166個目の死球を受け、尺骨を骨折したことが、選手生命に重大な影響を与える。

 折れた骨をボルトでつなぐ大手術を経て、「これがホントの筋金入りの腕さ」と自らの苦闘を冗談に変えて8月に戦列復帰も、同年はプロ入り後初めて本塁打ゼロ、打率.173と成績を落とした。オフにボルトを外すために再入院したとき、初めて「引退」の2文字が脳裏に浮かんだが、安藤統男監督ら周囲の説得もあり、「このまま辞めたら踏ん切りがつかない」と再挑戦を決意した。

 だが、選手生命を賭けて臨んだ翌82年も、開幕から5月8日の大洋戦まで主に代打で14打数2安打と結果を出せず、同15日の巨人戦では、同点の9回1死満塁で二飛に倒れた。そして、「もう1度チャンスをください」と安藤監督に直訴してラストチャンスに賭けた同19日のヤクルト戦でも、1点を追う7回1死二塁のチャンスに三振に倒れると、「私一人いることでチームに迷惑をかける。若い選手を使ってください」と引退を申し出た。

 15年間の現役生活で計7度にわたってシーズン最多死球を記録した37歳の“死球王”は、5月21日の引退会見で「悔いはないよ。死球で肋骨を折って、復帰直後の大洋戦(1980年7月5日)で遠藤(一彦)からサヨナラ二塁打を打ったことが一番の思い出」と語っている。

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