繁華街の居酒屋に「愛想の悪い日本人店員」が増加中…そんな「サービスの劣化」を歓迎すべき理由
サービスのやりすぎ
私には、日本人の飲食店店員はとにかく丁寧、そしていつも笑顔で接客する、というイメージが根強くあった。だが、今年の8月から9月にかけ、東京・渋谷に滞在し、飲食店を利用する中で、そのイメージは脆くも崩れ去った。渋谷マークシティ周辺の居酒屋の日本人従業員が、どこも軒並み不愛想だったのである。ちなみにそれらの店は、知る人ぞ知る名店というよりは、「まぁここでいいか」と妥協案として入るような店で、さらにインバウンド客も相手にしている、いわば大衆的な飲食店である。
もっとも私は、こうしたサービスの劣化を、問題視しているのではない。というよりむしろ、好意的に捉えているのだ。
元々このエリアには、調理人を除く店員全員が中国人で占められているという店も多い。こうした店では着席すると「チュウモンハ?」と無表情で訊かれ、出来上がった料理は無言でテーブルに置かれる。そして彼らは、少しでも手が空いたらカウンター席の端っこに座ってスマホを眺め始める。賄いメシもそこで食べる。会計時は「3780エン」と、必要最小限のことをぶっきらぼうに言う。
私はこれが嫌いではなかった。なにせ時給だってせいぜい1200円程度なわけで、そのくらいの報酬なのに、絶えず笑顔で接客し、「お待たせしました!」やら「領収書はご必要ですか?」なんてやるのはサービスのやりすぎと思うからだ。
飲食業界のホワイト化
「愛想の良くないサービス」の利点は他にもある。いわゆる「カスハラ」に遭遇した際も、毅然と対応できるのだ。何やら理不尽な文句を客から言われたら「じゃあ、これまでの分払って帰ってください」とぶすっとしながら言えばいいのである。
こうした“大陸系”とでもいうべきお店では、「まぁ、こんなもんだよな」と客の間に暗黙の了解があるため、「おい、ちゃんと返事をしろ!」だの「何が『注文マダ?』だ! 『ご注文はいかがですか?』だろ!」なんてことを言う客はそもそもいない。
一方、日本人がぶっきらぼうな対応をするとつい文句を言う客はまだまだ多い。これが、日本人店員の無愛想化が進むことにより、「店員が日本人であっても、よっぽどの大失態をしない限りは注意する必要はない」という認識が広まれば、飲食業界は今まで以上に働きやすくなるのではないだろうか。
昨今、渋谷界隈の飲食店の時給は1400円にもなってきている。人手不足の売り手市場なだけに、無愛想な従業員も無事採用される。彼らがもし社員から「もっと笑顔で接しなさい!」やら「金髪はダメだ!」なんて言われても「じゃあ別の店で働きます」と言える時代がついにやってきたのだ。これで人材の流動化に繋がるし、飲食業界のホワイト化が進むかもしれない。
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