阿部定の素顔 まるでどこかのスター、三橋美智也のファンで後援会にも、気まぐれな人…どんな晩年を過ごしたのだろうか

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第1回【「阿部定」はどこへ消えた…66歳の時「ショセン私は駄目な女」の書置きを残し失踪、住民票は削除、死亡届なしの謎を追う】のつづき

 数々の小説や映画で描かれ、いまも人々の記憶に残る“猟奇殺人事件”の犯人といえば、阿部定。1936(昭和11)年5月に東京の待合で愛人を殺害し、その遺体の局部を持ち去った女性である。出所後は一時偽名で生活していたものの、訴訟をきっかけに再び“表舞台”へ。消息が途絶えたのは1971年だった。現在も世間の関心が衰えないこの“有名人”は一体どこへ消えたのか。生きていれば105歳だった2010年、ノンフィクションライターの上條昌史氏がその行方を追った。

(全2回の第2回・「新潮45」2010年10月号掲載「特別企画 『“幽霊老人”社会』狂騒曲 いまだ死亡未確認! 伝説の幽霊老人『阿部定』を追う」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職、年代表記等は執筆当時のものです。文中敬称略)

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しゃきしゃきして、粋な人だった

「あんたたち、まだ探してるの? 大変だねえ」

 台東区竜泉2丁目。かつて「若竹」があった場所は、小さな工場になり、それも昨年閉鎖されて、現在は変哲もない車のガレージとなっている。隣りの花屋に阿部定の消息をたずねると、あきれたような顔をされた。

「もう40年も前の話だよ」

 花屋の夫婦は、当時結婚したばかりだったという。

「あの事件の人だとは知ってたけど、とてもそんなふうには見えない、いい人だったよ。若竹はおにぎり屋といっていたけれど、実質は飲み屋。三味線弾いてね、明るくて、しゃきしゃきして、粋な人だった。ミヤコ蝶々みたいな人だったな。店に来る客は、この辺りの人たちではなくて、ステッキをついて車で乗りつけるような人たち。店を閉めて出て行ってからは、音沙汰はない。昔の場所にひょっこり顔を出すような人じゃないからね。まだ生きているのかなぁ」

「星菊水」の同僚だった、松竹一郎さんの夫人も、「ぜんぜん音沙汰がない」という。

「吉蔵さんの位牌を、自宅の押入れの中に持っていて、毎晩手を合わせていた、という話を夫から聞いたことがあります。また、迷惑をかけた吉蔵さんの家族に、仕送りをしていたというような話も。“若竹”以後は、電話もありませんね」

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