「阿部定」はどこへ消えた…66歳の時「ショセン私は駄目な女」の書置きを残し失踪、住民票は削除、死亡届なしの謎を追う
大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976年)では松田英子が、大林宣彦監督の『SADA~戯作・阿部定の生涯』では黒木瞳が演じた阿部定。1936(昭和11)年5月に東京の待合で愛人を殺害し、その遺体の局部を持ち去った女性である。現在も世間の関心は尽きず、今年2月には題材にしたフィクション小説「二人キリ」(村山由佳著、集英社)が上梓された。
阿部定はそもそも逮捕時から衆目を集めていた。出所後は一時偽名で生活していたものの、娯楽雑誌を相手取った名誉棄損訴訟で再び“表舞台”に。消息が途絶えたのは1971年からで、現在は「没年不明」となっている。1905年生まれのため、90年代から00年代初頭頃までは「実は生きている」という都市伝説もあった。ノンフィクションライターの上條昌史氏が阿部定の行方を追ったのはそんな伝説も消えかけ、「所在不明高齢者」が注目されていた2010年のことである。
(全2回の第1回・「新潮45」2010年10月号掲載「特別企画『“幽霊老人”社会』狂騒曲いまだ死亡未確認! 伝説の幽霊老人『阿部定』を追う」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職、年代表記等は執筆当時のものです。文中敬称略)
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「生きている」という都市伝説
「阿部定のお墓なら、浅草通りのお寺にあるよ」
あまりにも事も無げに言われたので、拍子抜けしてしまうほどだった。阿部定の本籍地に近い台東区下谷2丁目の、とある不動産屋。
本当ですか? と思わず問い直し、なぜその寺に阿部定の墓があることを知っているのかとたずねると、こんな答えが返ってきた。
「知り合いの不動産屋が亡くなったとき、浅草通りに面した寺で葬儀が行われたんだが、そのとき参列者の一人から、“この寺には阿部定が眠っている”と教えてもらったんだ」
それが十数年前のこと。寺の名前は失念してしまったという。だが、寺が多い台東区でも、浅草通りに面した寺の数はそれほど多くない。その不動産屋に出向けば、葬儀が行われた寺の名前は教えてもらえるだろう。
礼を言って、炎天下の昭和通りに出た。半信半疑だったが、期待もあった。今度こそ、「阿部定は今もどこかで生きている」という“都市伝説”に、ピリオドを打てるかもしれない。
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