「ワンギャル」や東幹久と朝までベロンベロン…「クラリオンガール」オーディションで聞かれた「ティーバックになれますか」

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原千晶、イケイケ時代を語る

 俳優でタレントの原千晶(50)は20代のころ、芸能界の最前線で活躍した。20歳の時、「クラリオンガール」に選ばれると、TBS系「ワンダフル」では東幹久とともに初代司会を務めた。業界がイケイケだったころを振り返ってもらった。 (全6回の第6回)

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 高校を卒業した頃は、ちょうどコギャルブームでした。背伸びしたくなる年ごろだったので、友達と大人が集まるイベントやクラブに繰り出していました。そこで声をかけられて、「Fine(ファイン)」という雑誌に出たりもしました。

 雑誌の方から「新島にロケに行くから、水着になれるんだったら来ない?」と言われて、「なります」と言っていきました。現場では、歌手のhitomiさんと一緒になって、「なんてスタイルがいいんだ」「なんてかわいいんだ」とものすごく刺激を受けましたね。

 その時に、hitomiさんから「私は(芸能)事務所に入っていますが、入ってないんですか」と聞かれたんです。事務所には入っていないと答えると、「入ったほうが楽ですよ」と言われて、入ろうと思いました。

 新島から帰ってきたら、オーディション雑誌「デ・ビュー」を買ってきて、事務所の情報を見つけて、電話をしたり、手紙を書いたりしました。事務所に行くと、その日に「明日、オーディションに行けますか」と言われて、それが「クラリオンガール」だったんです。

 クラリオンガールのオーディションはシビアでしたね。親の仕事や家の環境など、身辺を調べられたりもしました。審査中に「君は準グランプリかな」と言われたり、「水着はどこまで着られますか」「ティーバックにはなれますか」とも聞かれました。

 私はそういうの全然平気なので、「なれます」と答えたりしていたら、あれよあれよという間にクラリオンガールになっていました。たった、1、2カ月で人生が、ぶわーって変わりました。

 そこから、絶賛売り出し中になって、事務所やマネージャーさんも頑張ってくれて、バラエティー番組に出始めました。ハキハキとやっていたのがよかったらしく、TBSのプロデューサーが「あの子、いいじゃない」と言ってくれて、「ワンダフル」の司会に抜擢されたんです。

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