武士が刀を抜きすぎ…「SHOGUN 将軍」が描く日本はリアルではない 褒めるだけのメディアの罪

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すぐに刀を抜くのはリアルな日本ではない

『SHOGUN』では、武士がじつに簡単に庶民を殺します。刀を抜いては気まぐれで人の首を斬り、それが「不安定な時代」らしい描写だと評価されているようです。でも、例外はあったにしても基本的には、武士は安易に庶民を斬ったり、漂着した人をむやみに虐待したりしませんでした。

 とにかく、いろいろな場面で、武士が簡単に刀を抜きたがるのです。少しでも礼を失していると感じた瞬間、そこが天下人の城内であっても、みな一斉に刀を抜こうとします。しかし、江戸時代ほどではないにせよ、この時代も、斬るほかに解決法がないという特殊なケースを除き、武士が実際に刀を抜くことは滅多にありませんでした。ましてや、天下人の城内で刀を抜こうものなら、死罪になってもおかしくありませんでした。

 また、浅野忠信さん演じる本多正信をモデルにした樫木藪重が、断崖から転落したとき、海中で刀を抜いて切腹しようとする場面がありました。樫木は死に魅せられていたのだそうです。たしかにこの時代、切腹は武士らしい死に方として定着し、敵に討たれるくらいなら腹を切るほうが名誉だと考えられていました。しかし、それはあくまでの追い詰められたときの判断であって、死がそれ自体として目的になっていたわけではありません。

 漂着した船の船員に対する仕打ちも、とても野蛮に描かれています。釜茹でにされた人もいましたし、ウィリアム・アダムスをモデルにしたジョン・ブラックソーン(按針)は、殴られて小便までかけられます。船員たちに血や臓物が混じった液体を投げかける場面もありました。しかし、当時の日本人が、そこまで野蛮な行為をしたとは思えません。

 アダムスを乗せたリーフデ号が、現在の大分県臼杵市に漂着したとき、地元の人たちは衰弱した船員の手当てをし、食事をあたえるなどして介抱したと記録されています。

「リアルな日本」を疑わないメディアの責任

 また、細かいことをいえば、これだけお金をかけているのに、あの時代の大坂城の自然石を積み上げていた石垣が、どうして四角いブロックを積んだような形状で描かれているのでしょうか。また、枯山水の庭で人を裁くのは、石庭と奉行所の御白洲を混同しているとしか思えません。

 そんなこんなで、『SHOGUN』の日本描写は、リアルとはいえない部分が少なくないのです。きっと気付や所作、殺陣などでは、ほんとうの日本にこだわったものの、時代考証にまで手が回らなかったのではないか、と想像しています。

 とはいっても、架空の人物が主人公のエンターテインメントとしてのドラマなのですから、目を楽しませるために、歴史的にはありえなかったチャンバラや切腹の場面が、それなりにあってもいいとは思うのです。問題があるなら、奇妙な日本描写と戦い続けた真田広之さんが、ようやくリアルな日本描写に辿り着いた、と強調されている点です。

 エミー賞で過去最多の18部門の受賞となった作品です。観てみようと思う人は少なくないはずです。その作品について、リアルな日本描写が特徴だとこれだけいわれれば、観た人は『SHOGUN』に描かれているのは、関ヶ原合戦前後のほんとうの日本だと思ってしまうでしょう。プロデュースした真田さんが言っているだけならわかります。ところが、今回の受賞を報じるメディアが例外なく、「リアルな日本描写」だとなんの疑いもはさまずに強調しているのは、いかがなものでしょうか。

 繰り返しますが、この受賞は快挙です。日本人としてもうれしいです。ただ、おもしろい作品ですが、描かれているのは必ずしも「リアルな日本」ではありません。ですから、そこに注釈をつける。そうやって、内外に向けて日本への誤解が広がらないように促す――。それがメディアの役割ではないかと思うのですが。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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