“モラハラ離婚”と言われた高橋ジョージが語る、別れたひとり娘との「10年ぶり」再会 「父の日には“パパ”と呼ばれました」

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 220万枚を超えるメガヒット曲「ロード」で知られる高橋ジョージ(66)。彼は元妻・三船美佳(42)と離婚し、10年ほどはひとり娘と会うことがほとんど出来ない“疎外”状態にあったが、今年、父娘の関係に大きな変化があった。この春、20歳を前にした彼女本人から突然、連絡があり、2週間の間、同居することになったのだ。娘と再会を果たした高橋がその「親子」観を語る。
【西牟田靖/ノンフィクション作家】

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10年後に届いたメール

 8月に発売された「週刊文春」誌上で、高橋は娘と再会したことを明かし、ニュースになった。5年前、高橋に「家族と親権」がテーマのインタビューを行い、「週刊新潮」に寄稿した経験のある筆者は、再会を知り、改めてインタビューを申し込んだ。この5年間で、離婚後に子どもに会えなくなる親の存在がクローズアップされ、今年の5月には離婚後の「共同親権」導入を含む民法改正が行われた。高橋に自身の経験と思いを聞いてみることは、同じ境遇に苦しむ親にとって重要だと考えたからだ。高橋からも「ぜひ知ってほしい」との返事があり、インタビューは実現した。

「あれは3月23日の午後、仕事のメールチェックをしていたら、『お久しぶりです』って書かれたメールが届いたんですよ。差出人には娘の名が。ちょっと待って。これ誰かのいたずらだろうって思って見たら、すごく長くてね。なりすましじゃ知りえない内容だったの。もしかしてと思って私のプライベート・メールのアドレスを教えました。そうやってやり取りがはじまった」

 そう高橋は振り返る。

 高橋が、故・三船敏郎の娘である女優・三船美佳と結婚したのは1998年のこと。24歳差の夫婦は大きな話題となり、2004年には娘が誕生した。しかし、2013年の暮れ、三船が娘を連れて東京の自宅から大阪に移り、別居を開始。調停、裁判を経て2016年には離婚が成立した。

 高橋が娘と2人で会ったのは、2014年3月23日が最後だった。この時は高橋の大阪でのライブ会場に娘が訪れ、夕食を共にし、宿泊先で一泊した。しかし、離婚成立後は半年に一度、2枚の写真が送られてくるだけのみで、次第にそれも途絶えた。2019年3月末、双方の弁護士同伴の元、大阪の喫茶店で2時間、顔をあわせたことがあったが、当時14歳、思春期真っ只中の娘に「あんた」と呼ばれるなど、決して打ち解けた雰囲気ではなかった。そして以後5年間、2人は一度も会うことは叶わなかった。ちなみに、その後、三船は再婚し、2020年には女児を生んでいる。

「その間は、懲役を食らったようなもんだ、って諦めてたんです。でも“子供以外には会えてるから、幸せな方なんじゃないかな”って無理に思うようにしていたわけですよ」

 一切コミュニケーションがない状態で、彼は娘のことを思い続けてきた。

「最後に楽しく会えた3月23日だけはなぜか忘れられなくてね。毎年その日になると、今年はあれから〇年目だ、〇年目だと数え続けていました。そして毎年“今年も何もなかった”と。今年の3月23日はちょうど10年。その少し前に姉から“連絡来るような気がするから部屋片づけておきな”と言われたんですよ。そんなことあるかと思っていたら……」

 突然、事務所宛てに冒頭のメールが届いた。

 メールには、概ね、次のような内容が記されていたという。

「ご無沙汰しております。数年お会いできていませんが、いかがお過ごしでしょうか」

「3年前に生まれた妹はとてもかわいくて、今まで子どもに関心がなかったのに、初めて愛おしさを感じました」

「去年の11月に19歳になりました。今年はもう20歳になります。なんだか不思議と達成感があります。自分ももう成人である以上、親権に縛られずに話ができるのではないかと思い、ご連絡させていただきます。高橋さんがよろしければ」

“力を貸してください”

 5年前のような言葉遣いではなく、きちんと敬語が遣われていた。

「後で聞いたら、娘は私の連絡先を知らなかったから、インスタから会社のメールアドレスを調べたらしい。高橋さんなんて固すぎる。私はジョージだから、YouTubeで『Gさん』と名乗っている。だから呼び方は『Gさん』でいいよ、と伝えました」

 その後、やり取りされたメールには、19歳の娘の、さまざまな悩みが綴られていたという。

「将来のこと、家族のこと、友人関係のこと……。たくさんありました。溜まっていた思いがあったんだろうね。だからこそ、何かを変えようと思って連絡をしてきたのでしょう。とにかく会おうという話になりまして、4月に彼女が東京に来ることになったんです。しかし、それには条件を付けた。“来るんなら、ちゃんと(母親に)言ってきた方がいいよ”と。だって、黙って俺に会うことは娘の母親に対しての裏切りだからね。そこで娘は母親に手紙で自分の意思を伝えたようです。母親も“あなたの人生をこれからも応援しますよ”って賛成してくれたようです」

 再会が決まった。

「新幹線代を振り込もうと口座を教えてもらったら、苗字が新しいお父さんのものになっていたけど、それは記号だからいいや、と思いましたよ。その日は駅に迎えに行って、焼肉ランチを食べて、うちに一泊泊まりました。顔かたちはもちろん幼い頃とは変わっていたけど、時折、昔の面影が残っているのを感じる瞬間がありましたね。娘は悩みや将来の不安をたくさん話し、“今まで自分は守られ過ぎてきた”“自立したい”“そのために力を貸してください”と言うんです。そして“将来の選択肢を広げたい”と。それで、“東京来る?”と提案したんです。娘も頷いて……」

 こうして娘は上京することになった。後日、高橋の自宅には段ボール箱20箱が送られてきたという。

「娘は“6月9日に行きたい”って。“なんでその日?”って聞いたら“6月9日ってロックの日だよね。大切な記念日だよね”って」

 父娘の生活が始まった。

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