「血尿が出るまでやらないと、体は変わりません」 ミュンヘン五輪平泳ぎで金メダル「田口信教」の“科学的な根性論”(小林信也)
カンニングしろ
愛媛県周桑郡壬生川町(現西条市)で生まれた田口が競泳を始めたのは中学に入ってから。練習場はため池だった。「思えば監督の一言が最初の覚醒の時だった」と田口は言う。
「監督が、『水泳はカンニングしていいんだぞ。世界一の泳ぎをカンニングしろ』と言った。僕はすごく驚いた。それで東京オリンピックの記録映画を見て研究した。映画の中に平泳ぎで優勝した選手のスローモーション映像があった。何度も映画館に通いました」
世界一の泳ぎはそれまで頭に描いていた常識的な泳ぎと全然違った。
「日本では『平泳ぎは平らなもの』と教えられていた。砂浜に腹這いになって手と脚をかく。平面的な動きです。ところが世界一の動きは立体的でした。両手をお腹の下に深く突っ込み、水を押し込んで推進力を生む」
発見はそのまま飛躍的な記録短縮につながった。
「自分の動きを見たくて、プールの底に母親の鏡台を沈めました。母に『やめて!』と言われながら(笑)」
人間は特訓で変わる
第二の覚醒は、監督に“動物と人間の違い”を教えられた時だという。
「動物は環境が変化しても大して変わらない。環境やトレーニングで能力が飛躍的に変わるのは人間だけだと知って目が開かれました」
田口は息を止めて4分半、水中に潜ることができた。周りの友人と比べると桁違いに長かった。が、ギネスブックで世界記録を調べて仰天した。18分も息を止めて潜れる人がいた。
「動物はこんな、普通より10倍以上も能力を伸ばすことはできません。人間だけが、『根性入れて特訓すると変われる』、それを知ってやる気になりました」
プールの中で、バケツを足に三つも付けて引っ張った。両手でかくとすぐ疲れる。片手ずつ順番にかくと長く泳げた。こうして、へとへとになるまで泳いだ。
「そうしないと血尿が出ない。血尿が出るまでやらないと、体は変わりません」
真剣なまなざしで田口が言う。それは単純な精神論とは思えない。田口がたどり着いたのは、科学的な根性論にも聞こえた。そうやって、世界記録を超える実力を身に付け、本番に備えた。
72年ミュンヘン五輪。100メートル準決勝で1分5秒1の世界記録をマークした。
〈このぐらい出さんと〉、頼もしい見出しが決勝前の新聞に躍っている。4年間の工夫と国際舞台の実績で泳法違反には問われなかった。
迎えた決勝。50メートルを折り返した時点で田口は7位。戦略通りの展開だ。60メートル地点でも首位のブルース、ヘンケンらに体半分遅れていた。が、「ここからが勝負」と決めていた残り25メートル、田口の勢いが一気に上がった。鍛え抜いたピッチ泳法が輝きを放つ。みるみる差を詰め、最後は体半分の差をつけてゴールした。1分4秒94、驚異的な世界記録で優勝を果たした。表彰台の真ん中に日の丸、右と左に星条旗が揚がった。
「プールを出たら、大勢のアラブ系の人たちに囲まれ大騒ぎになった。100人や200人どころじゃない、1000人以上。次々に担がれて『よくやった!』と。有色人種がアメリカ人選手に勝ったのが痛快だったようです」
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