ネットに「かつらだよね」と書き込まれ…ウィッグをつけてテレビ出演 「原千晶」ががんを公表した理由

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看取るという経験

 この会見のニュースが出た後、私のブログのコメント欄に「私も実は乳がんなんです」「子宮頚がんなんです」と全国からたくさんのコメントいただきました。それまでは、「自分だけが」と思っていたんですが、「同じ経験をしている人がこんなにもいるんだ」と思うと、自分がすごく救われたんですよね。

 その人たちと最初はネット上でやり取りをしていたんですが、会ってみたいなと思って、オフ会みたいな感覚で実際に会ってみたんです。それがもとになって、2011年に「よつばの会」を設立しました。

 会では、同じような経験した人が集まって話をしています。経験したものにしかわからない話を聞いたり、自分も話したりすることで、すごく気持ちが癒されるんです。「自分1人じゃないんだ」って思ったりして、すごく救われました。

 ただ、本当に辛い出来事もありました。私は最初、「みんなに会って、友達になりたい」と無邪気な気持ちで始めたんです。そうしたら、想像していた以上に盛り上がって、ウワーってみんな仲良くなって、人数も増えていきました。

 その中に、私に1番寄り添ってくれた“右腕”みたいな同じ 年の女性がいたんです。彼女は会の第1回目に来てくれたりもしました。でも、会が立ち上がって8か月後に、38歳で命を落とすんです。初めて同じ病気だった人を目の前で看取るという経験をしました。

 この時は本当にきつくて……。勝手な言い分なんですけど、(会を)やらなきゃよかったと思ったりもしました。こんなに悔しい、辛い思いをするんだったら、出会わなきゃよかったって。そんな思いを胸にしまっておけなくて、他の仲間に泣きながら言ったりしたこともありました。その時は、仲間が「そんなことないよ」って、支えてくれて。なんとか、ここまでやってきたという感じです。その友人との別れっていうのは、今でも忘れられないです。

 会は今も継続していて、不定期で集まっています。コロナ禍では、集まるのが難しかったのですが、今年6月に久しぶりに会を開催しました。

 がんになってからの20年を振り返ると、抗がん剤治療を受けた直後の36歳くらいの頃が一番しんどかったですね。もう、精神的にも本当に落ちちゃって、別人のようになっていました。

「これでいいのかな」

 そこから立ち直るのに、いろんな人との出会いや支えがあって、自分でもいろんな気づきがあって、「よつばの会」を始めて、そこから元気になりました。

 がんになってからも、細々とタレントや女優をやっていくつもりだったんですが、病気をしたことで、大きく人生が変わりましたね。周りの評価や私に対するイメージ、求められるものも変わりました。

 そうしたものに対し、これまでひたすら応え続けてきた感じです。病気になる前は、すごく華やかな場所にいて、その後は地味な活動が中心となり、少し寂しさを覚えたこともありますし、「これでいいのかな」と迷ったこともありました。

 でも、自分も人に救われたり、人から色々学んだりして、すごく勉強できました。人生修行のような20年だったなと思います。

 ***

 第4回は、出産への思い、支えてくれた夫への思いを語る。

原千晶
1974年、北海道生まれ。94年、「クラリオンガール」に選ばれ芸能界デビュー。2011年、「よつばの会」を設立。

デイリー新潮編集部

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