ステージ3C、リンパ節に転移…35歳で子宮を全摘した原千晶の決断「命に代わるものはない」

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お母さんになりたい

 治療に関しては、その時に「子宮を全摘出したほうがいい」と言われたんですが、私はどうしてもそれを受け入れられなかったんです。当時、まだ結婚する予定もありませんでしたが、ごく自然に子どもが欲しいな、お母さんになりたいなと思っていましたから。

 友達と比べても、結婚や出産への願望は強かったと思います。赤ちゃんを産むことが当然だろうと思っていたので、それがある日、不可能に近いということが分かった。それは、がんになったことよりもショックでした。それもあって、最初のがんの時は子宮の全摘出はせず、毎月の検査と経過観察をすることにしました。

 しかし、今振り返ると、あの時の判断は間違っていたと思います。私のケースになりますが、全摘出しなかったため、そのあとがんが再発したからです。しかも、定期的な検査を2年半ほど続けましたが、ある時を境に「めんどくさいな」「もう大丈夫だろう」という気持ちでサボってしまい、2年間ちかく検査に行かなかったんです。すると、次に病院に行ったときには、進行したがんが子宮に見つかりました。

 完全に自分の落ち度でした。子宮を取らなかったことも、お医者さんのいうことをきちんと聞かなかったこと、子宮頸がんという病気を正しく理解しておかなかったことは後悔しています。結局、がんときちんと向き合えていなかったんです。

 35歳の時にがんが再発した時には、「進行がんです」と言われて、全摘出しないと本当にまずい状況でした。私としては「もう取っちゃってください」という感じで、「命に代わるものはない」「死にたくない」と思いましたね。

 2回目のがんでは、2010年の1月半ばに子宮の全摘出の手術をして、その後は抗がん剤治療を行いました 。

 がんはステージ3Cで、リンパ節にも転移があることがわかったので、「抗がん剤治療は絶対やりましょう」と言われ、その年の2月から抗がん剤の治療が始まりました。3週間ごとに1回薬を投与して、それが6回あったので、計18週間かかりました。退院したのは6月で、手術から抗がん剤治療まで半年間かかりました。

 抗がん剤治療は、めちゃくちゃつらかったです。もう手術だけで済んでいたら、どんななに楽だったんだろうと思ったぐらいでした。眠れないですし、体の全てが狂っていくっていう感じです。

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