【光る君へ】ついに「彰子」が「定子」を超えた 重圧の日々に耐え、国母へ“覚醒”できた理由
定子が誇った母親譲りの漢詩文の教養
そんな彰子が大きく脱皮する様子が、NHK大河ドラマ「光る君へ」の第35回「中宮の涙」で描かれた。彰子の『源氏物語』についての質問に、それまで「夫」である一条天皇の顔も真っすぐ見られなかった彼女が、一条への思いを募らせていることを読みとったまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)は、こう促した。「その息づくお心のうちを、帝にお伝えなられませ」。そして一条が現れると、彰子は半ば泣きつくように「お上、お慕いしております」と、心のうちをはじめて告白した。
そして一条天皇は、彰子の思いに応え、彼女の後宮に渡り、ついに彰子は懐妊するのである。
以後、彰子は大きく成長していくが、ここまで鬱屈していたのは、定子の存在が大きかったからだと思われる。したがって、定子とくらべることで、彰子の実像はより鮮明になるだろう。
貞元元年(976)に生まれた定子は、父の藤原道隆よりもむしろ、母の高階貴子(板谷由夏)によって特徴づけられる。貴子の父の高階成忠は、文章生(大学寮で文章道を専攻した学生)から大学頭(大学寮の長官)を経て大和守(いまの奈良県にあたる大和国の長官)を務めた人物だった。父譲りだろう、貴子も宮廷女官を務めながら漢詩文に長け、和歌も「儀同三司母」の名で『百人一首』に選ばれている。
おそらく道隆は、その才能も見越して貴子と結婚した。その結果、娘の定子も漢詩文の教養が十分に身についた聡明な女性に育った。
一条天皇が定子とその後宮に惹かれた理由
『枕草子』に書かれている「香炉峰の雪」の有名なエピソードがある。ある雪の日、定子から「少納言よ、香炉峰の雪やいかならむ」と尋ねられた清少納言(ファーストサマーウイカ)は、唐の詩人、白居易の漢詩の一説に「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」と書かれていたのをとっさに思い出し、御簾を上げさせたという話である。この場面は「光る君へ」の第16回「華の影」(4月21日放送)でも取り上げられた。
平安中期から後期には、漢文の教養は女性にとって必須ではなくなっていた。ところが、定子はこうして謎かけができるほど漢詩文に精通しており、その後宮の女房である清少納言も、それに対応できる漢文学の素養があった。定子の後宮は漢文が読める女房たちの集まりで、こうした教養を活かして天皇を支える場だったと考えられる。
そこは気が利いた洒落た会話が飛び交うサロンで、貴族たちも知識があって機転が利くような人物でないと、相手にされないほどだった。そんな後宮は、生真面目でオタクと呼べるほどの文学好きだった一条天皇にとっては、非常に刺激的だったのではないだろうか。
だからこそ、一条天皇は定子の入内後、彼女が兄である藤原伊周(三浦翔平)と弟の隆家(竜星涼)が不祥事を起こした際に彼らをかくまい、衝動的に出家するまで、ほかに女御を置かなかった。そのくらい定子もその後宮も、一条にとって特別なものだったのだろう。
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