【特別読物】「救うこと、救われること」(3) 石井光太さん

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 石井光太さんは、アジアのスラムや震災直後の遺体安置所などを、現場に身を置いて取材し、少年犯罪や教育問題も精力的にルポしています。そんな石井さんにとっての「救い」はまさにその現場にありました。

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 この10年ほど、少年犯罪や事件の取材をする中で、当事者である少年たちの友人関係やコミュニケーションのありようが、僕の子ども時代とは違っていると感じてきました。

 この違和感はなんだろうと、いろいろな人に聞いているうち、これは事件の当事者だけでなく、一般の人々の間でも起こっている変化だと感じたんです。そこで取材を始めていったのが、『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』のきっかけです。

大人ファーストになっている

 話を聞いたのは、保育園から高校までの保育士さんや教諭など、いわゆる「先生」たち200人以上になります。子どもは自分が置かれている状況を客観的に語れませんから、身近にいる大人に聞いていきました。

 すると、ある保育園では、コロナの感染が広がって緊急事態宣言が出たときに「子どもを預かって欲しい」という親が増えたというのです。感染防止のためには家族で一緒にいた方が安全なはずですが、心配だから子どもを保育園に預けたいという。自分で責任を負いたくないというのが、今の親の考え方なのだといわれました。いい悪いではなく、今まで当たり前と思っていたものが変わってきていると感じました。

 僕自身、講演などで教育の現場を目の当たりにします。スマホアプリの子守歌で昼寝させたり、子どもが咀嚼できないので給食はおかゆのようなミキサー食という保育園がありました。小学校では、授業中に勝手に教室を出て行ってしまったり、教室の椅子に座っていられず床に寝転ぶ児童も珍しくありません。

 幼児でも小学生でもスマホのアプリやゲームの依存度は高く、外で遊ばないし、他の子どもと遊ばない、友達の家に行かないんですね。両親それぞれ忙しく、子どもに向き合う時間がないので、スマホに子どもの相手を任せてしまいます。

 超高齢社会になって子ども人口が減り、世の中が大人ファーストになっているのです。家庭だけでなく、学校や教育委員会も同様です。レストランも、電車も、公園も、学校も、大人にとって都合がいい場所になっています。

 さらに中学や高校になると、SNSはなくてはならないものになります。ただ、人と向き合っていないので、LINEで繋がっているけど友達ではない、クラスメイトの姓も知らない、異性との交際を全てネットだけで済ますといったことが起こります。

 最近の研究では、生まれながらの「母性」は否定されていて、小さい頃から子どもと触れあって世話をしていくことで、子どもを産みたい育てたい、家庭を持ちたいという、「親おや性せい脳のう」が性差なく育つといわれています。人と接する機会がなく、デジタル依存で育ってしまうと「親性脳」が育たないままになります。

俯瞰してみることが大切

 今回、なぜ僕が保育園から高校までのルポをしたかというと、保育園の保育士さんも、小学校、中学校、高校の教諭も、それぞれ外の世界を意外に知らないということがあったからです。保育園でうまくいかなかった子が中学や高校でどうなるか、心配だけれど実際は分からない。幼児から中高生まで、教育の現場で何が起こっているかを知らせる必要があると思いました。全体を俯瞰して立体的に把握できるようにすることは大切で、僕はそれがノンフィクションの仕事だと思っています。

 今の日本は、家庭も、子どもたちも、学校の先生方もみなタコツボ化して孤立しているのです。問題は、そこをどう繋いでいくかです。親も先生も、子どもはすくすく育って欲しいと思っているのに、子どもも、のびのび遊びたいと思っているのに、お互いそれができない空気になっている。この息苦しさ、社会の見えない牢獄を変えていく、これこそが国や自治体の務めだと思います。

 ドイツでは、地域ごとにスポーツ協会の施設があり、そこではメジャースポーツからマイナースポーツまで様々な競技を好きに体験できます。同世代で互いに楽しめるし、多世代が集まるコミュニティーにもなっています。日本でもこのような試みが必要ではないでしょうか。

人間の裸の姿に感動する

 僕は、海外のスラムや災害現場の遺体安置所を取材してきました。どちらもある意味人間が裸にならざるを得ない場所です。そういう極限的な状況では、人間の生きる様がむき出しになります。

 ところが、そういう状況で現れる人間性は、むしろ生きることにまっすぐ向かっていく力強さになるのです。スラムで貧乏のどん底なのに友達や親のことを思いやるし、物乞いで自分も満足に食べられないのに、飼っている猫にご飯をあげるんです。震災現場の遺体安置所に働きに来る人は、自分も被災しているのに「みんなが困っているから当たり前だべ」といって、遺体に語りかけながら、丁寧に接していくのです。

 そういう裸の生きる姿に出会うと心底感動します。だから書きたいと思うし、それが世の中を支える力だと思えます。貧しいけれど必死に生きる、決して悪事に手を出さず、その日その日を笑って楽しんで生きる人々の姿に救いを感じるんです。

■提供:真如苑

石井光太
1977年東京生れ。ノンフィクション作家。2005年、アジアのスラムの人々を取材した『物乞う仏陀』で衝撃的なデビューを飾る。2021年『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。主な著書に『遺体 震災、津波の果てに』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。

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