【追悼・宇能鴻一郎氏】担当編集者が解き明かす「謎の官能作家」をめぐる3つの伝説

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【伝説その2】広大な西洋屋敷で、貴族のような生活をしている?

 中村氏が横浜市に ある宇能邸を初めて訪れたのは、2020年秋の、ある土曜日の午後だった。

「何だか、謎めいた雰囲気の、広大な3階建ての洋館でした。鉄製の門扉に、妖しげな門燈がありました。時間ぴったりに行くと、玄関で、すでにご本人がタキシードの正装でスックと立っておられるんです。まずここで驚いてしまいました。先生自ら、『どうぞ、お入りください』と、重そうな扉を開いて招き入れられます。邸内はひんやりとしており、屈曲した薄暗い廊下が迷路のようにつづいています。暖炉、本棚、燭台……壁には鹿の頭部の剥製。しばらく行くと、驚くほど広いホールに出ました。木製の美しい床、大きなガラス窓、高い天井、グランドピアノ、ライオンや白鳥の彫像、そして西洋古典様式の巨大な柱……」

 話を聞いていると、まるで江戸川乱歩の小説に出てくる、怪人二十面相に狙われる西洋御殿のようだ。あるいは、ヒッチコックの映画「レベッカ」の舞台、謎の大邸宅マンダレー……?

「広いホールの一角に机があって、そこが宇能先生の仕事場でした。実はご自宅は別にあり、ここはあくまで“仕事場”なんです。奥様が車で行ったり来たりされているようでした」

 ちなみに、この“仕事場”は、敷地面積600坪だそうだ。学校体育館が2つ、すっぽりおさまる広さである。

「そして……打ち合わせが終わったころ、どこからともなく、華やかなドレス姿の女性たちが現れました。いったいなにが始まるのか、呆気にとられていると、『そろそろタクシーをお呼びしましょう』。ホールを出ると、背後で音楽が大きく鳴り、同時に玄関の扉が閉じられました。その瞬間、夢から醒めたような感覚をおぼえました」

 実はその女性たちは、社交ダンス愛好会のメンバーだったのだ。宇能邸のホールでは、西洋ドレスを着飾った女性たちによる“舞踏会”が、定期的に開催されていたのだ。

 かつて宇能さん自身、こう述べている。

〈僕は建築が大好きで、文章よりむしろ建築を人に見てもらうのが好きなんだ。(略)建築狂といえばバイエルン王のルートヴィヒ二世がいますが、彼は国の税金でノイシュヴァンシュタイン城を建てた。僕は税金を納めながらこの家を建てました。〉(中公文庫『味な旅 舌の旅』~近藤サトとの巻末対談より)

 その“仕事場”は、まさに、宇能さんにとってのノイシュヴァンシュタイン城だったのだ。

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