自民党総裁選に敗れて「北海のヒグマ」は“怪死”を遂げた…中川一郎が「最期の食」に選んだ“タンメン”の味

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激務からくる披露、それを紛らわす酒

 その人生を振り返ってみよう。

 1925年、北海道広尾町に農業を営む中川文蔵(1892~1893)・セイの長男として生まれる。だが、細かな経歴について書くのは中川の本質ではないように思えるので避けておく。ただ、北海道では将来の総理大臣を嘱望されていた有力政治家だったことは力説しておきたい。農林大臣(第49代)、農林水産大臣(初代)、科学技術庁長官(第35代)、原子力委員会委員長(第35代)を歴任した。

 中川の死は「怪死」と呼ばれ、さまざまな説が飛び交っている。しかし、私は直接取材した立場ではないので、確証を持ったことは言えない。ただ、総裁選の予備選が終わってから、中川は次第に「夜、眠れないのがつらい」と強く訴えるようになり、睡眠薬を少しずつ増やしていったという。

 激務からくる疲労、それを紛らわす酒。ハードスケジュールをこなすためやむをえず飲む睡眠薬。「体によくない……」と周囲が諭しても、中川は怒るようにこう語ったという。

「これを飲まなきゃ疲れがとれないよ。仕方ないだろう」

 実は私も、末期がんの闘病生活が続き、夜が怖くなってしまった。夜の怖さはなかなか人には説明できない。「うわー」と大きな声を叫んでしまうこともある。

道東のケネディ

 中川の死から10年後、私は彼の選挙区でもある根室地方に勤務していた。根室市、別海町、中標津町、標津町、羅臼町。海岸線350キロ。北方領土の島々(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)を望む「国境の街」だ。四国の半分に等しい広大な大地を、毎日、車を走らせ取材していた。

 勤務が始まったのは1991年8月。この年の12月、ソ連が崩壊した。92年、北方四島で暮らすロシア人と対岸の根室住民との交流が始まり、国境の街は平和ムードに包まれた。ロシア国境警備隊による拿捕・銃撃事件によって「友好の海」が「緊張の海」に一変したこともあったが、民間レベルでの交流は続き、人道上の墓参も、毎年、営まれた。ソ連崩壊後の数年間は「島が最も日本に近づいた時」でもあった。

 だが、北方領土近海の水産資源の市場価値に気づいたロシアは警備を強化する。国境警備隊による警備船による拿捕・銃撃事件である。その厳しさは、東西冷戦時代にも見られないほどのものだった。

 私は毎日、管轄内の漁業組合を訪ね、北海の様子を取材した。驚いたことに、各組合によってロシアへの対応が異なることに気づいた。

 根室湾中部や羅臼など、沿岸漁業(コンブ、カニ、スケトウダラ)への依存が高い組合ほどロシアの海域に近いだけに、その動向が気になる。だが、サケ・マスに比重を置き、国策と称して北洋漁業を邁進してきた日本の水産政策にとって大切なのは、北方領土近海ではなく200海里といった大規模、広範囲の漁業政策。根室ではコンブなどを小魚(こざかな)と呼び、どこか差別していた嫌いもある。

 そうした国策の中に権力をもって食い込んでいったのが中川一郎だった。「根室管内の王者」とも「北海道の王者」とも言えた根室漁業協同組合では、中川が亡くなって約10年は経つのに、いまだ燦然と光を放ち、その権力は息子の中川昭一(1953~2009)に受け継がれていた。跡を継いだ鈴木宗男ではあるが、根室管内ではいまだ評価が分かれるのはどうしてだろう。

 中川の悲劇とは、一瞬の迷いではあっても、保守本流になり自民党総裁に君臨できると錯覚したことではないだろうか。異論や反論もあるだろうが、鈴木も同じような錯覚を抱いたかもしれない。

 私は根室漁協の幹部と中川について議論したことを思い出す。彼は確かこう言った。

「彼が初めて国政選挙に打って出たのは1960年代でしたか。キャッチフレーズは『道東のケネディ』でした。『日本の』でも『北海道の』でもなかったんです。折からのケネディブームにあやかって、並みいる古豪を蹴散らかした。格好良かったなあ」

 次回は漫談家のローカル岡(1943~2006)。客席を見渡し、「秋だねえ、会場も空(あ)きだ」と茨城なまりで一言。腰が引けたような身のこなし方が何ともいえない絶妙な味を出していた。あんな風に人生を重ねたい。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴36年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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