西武「次期監督」で思い出す名将「森祇晶」辞任の舞台裏…フロントとの確執に苦悩「使ってやっているんだ、という雰囲気があるんだよ」

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リーグ5連覇のチームに

「94年シーズンが始まると、球団は森監督の采配を、露骨に『つまらない』と酷評し、それが本人の耳にも入るようになってしまったのです。送りバントを多用して確実に1点を取り、それを守って勝つ――勝利にこだわる采配が、“勝負より面白い野球を”と考える堤オーナーはじめ、球団上層部にはつまらないと映ったのでしょう」(同)

 この年はダイエー、オリックス、近鉄、そして西武の「4強」が競うシーズンとなった。しかし森監督にはもう一つ、別の戦いを強いられていたという。その“別の戦い”について、同監督は自身の著書『覇道 心に刃をのせて』(ベースボール・マガジン社1996年)でこう書いている。

〈私自身の進退問題である。ちょうど契約が切れる年ということもあり、立場は微妙であった。(略)夏頃を境にし、周辺の空気は一変していた。毎年夏場にかけて渉外担当スカウトがアメリカへ視察に行くが、帰って来ても何の報告もなかった。かつてなかったことだった。(略)「報告書を出してよ」とこちらから頼んでも、一向に届く気配さえない〉

 後日、森監督が改めてスカウトに問うと、申し訳なさそうにこう言ったという。

「フロントから現場に報告する必要がないと言われたんです」

 それでも10月2日、西武は近鉄に勝って優勝を決めた。史上初のパ・リーグ5連覇、しかも5年連続で全球団に勝ち越すという、まさに「完全優勝」でのリーグ制覇だった。

〈我々は胸を張って宿舎の新阪急ホテルに戻った。(略)ところが、一連のセレモニーが終わり、我々を待っていたのはあまりに味気ないものだった。私は食堂に足を踏み入れた瞬間、愕然とした。料理はふだんの遠征と同じだし、乾杯のビール1本付くわけでもなかった。晴れがましい祝宴を想像していただけに、私はさみしくてたまらなかった。(略)フロント首脳の姿が見えないのが不思議だった。「どこへ行ったの?」「東京へ帰りました」「それはないぞ」めったに大声を張り上げない私だが、そのときばかりは感情を抑え切れなかった〉(前掲書より)

 この時、森監督は監督辞任を決意したという。同15日、日本シリーズに向けた練習終了後、仁杉巌球団社長にシリーズの結果に関わらず今季で監督を辞めると伝えた。

 22日から始まった巨人との日本シリーズは、第1戦こそ11対0と大勝したものの第2、3戦をいずれも1点差で落とし、第4戦はサヨナラ勝ち。しかし第5戦は3対9と完敗、巨人に王手をかけられた。東京ドームで行われる第6戦前夜の10月28日の金曜日。ミーティング後にコーチを集め、そこで初めて「今年限りで辞める」と伝えた。

 夜9時ごろ、森監督が部屋に戻ると、電話が鳴った。

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