西武「次期監督」で思い出す名将「森祇晶」辞任の舞台裏…フロントとの確執に苦悩「使ってやっているんだ、という雰囲気があるんだよ」

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9月は別れの季節

 今年のペナントレースもいよいよ最終段階。1位から4位まで大混戦のセ・リーグに対し、パ・リーグはソフトバンクの独走状態だ。しかし、クライマックス進出をかけて、ロッテと楽天の間でし烈な3位争いが続いている。その一方で、9月は優勝の行方が気になると共に「別れ」の時期でもある。個々の選手に関し「今季限りで引退」「来季は戦力外」といった記事も出始めるからだ。

 9月10日に今季最下位が確定した埼玉西武ライオンズも例外ではない。捕手の岡田雅利(35)と、外野手の金子侑司(34)が引退を表明。それぞれ9月14、15日の試合後に引退セレモニーが行われた。さらに、投手・増田達至(36)も今季限りでユニフォームを脱ぐことになり、28日のロッテ戦後にセレモニーが行われる。

「渡辺久信GM兼監督代行(59)も交代します。新体制へ向けて、いよいよ監督人事が本格化するわけで、水面下の動きも含めウォッチしています」(スポーツ紙記者)

 伝統球団にして、かつては常勝軍団――監督人事に注目が集まるのは当然だが、

「あの時の辞任の仕方は、なんともイヤな感じというか、寂しいというか、複雑なものがありました。その後、生え抜きの主力選手が、FAなどでどんどん出て行くようになって。なんだか今のライオンズのチーム状態につながる、きっかけのような出来事だったのではないかと……」

 と、40年来の西武ファンの男性が指摘するのは、1994年10月に起きた、当時の森祇晶監督(87)の辞任を巡る騒動である。

 森氏は岐阜高校を経て1955年に巨人入団。5年目から正捕手となり、60年~70年の巨人V9時代の司令塔となった。74年に現役引退後、82年に西武コーチに就任、一度は退団したが86年に広岡達朗氏(92)の後任として西武監督に就任。94年に辞任するまでの9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一にチームを導き、西武ライオンズの黄金時代を築いた文字通りの名将である。

「就任から3連覇。3位に終わった89年の次年からは5連覇と、89年シーズンを落とさなければ、監督としてもV9を達成していたかもしれないという、大変な成績です。当時のライオンズは西武鉄道グループの総帥、堤義明氏(90)がオーナーでした。89年シーズンを落とした時のオーナー報告で、続投が決まっていた森監督に、報道陣の前で『監督がやりたいんならどうぞ。また頑張ってください』と、突き放した発言が物議をかもしました」(ベテラン野球担当記者)

 翌90年シーズン、巨人から抑えのエース・鹿取義隆(67)をトレードで獲得し、パ・リーグ5連覇を成し遂げるのだが……。

「5連覇を達成し、巨人との日本シリーズに臨むのですが、その最中、しかも最終戦となった第6戦の前に、森監督辞任報道が流れるのです。結果、西武は2年連続でシリーズを落としました。森監督は“まだシリーズを戦っているのに、なぜ今の時期にこういう報道がでるのか。選手たちがかわいそうだ”とコメントしていました」(前出・記者)

 一体、何があったのだろうか?

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