「組長、若頭3人暗殺事件から約40年逃亡の末に」 4代目山口組・竹中組長射殺犯はいかにして逃げ続けられたのか

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どうやって逃げ切ったのか

 その後、4代目山口組傘下の弘田組・菱心会の竹内照明組員(現・3代目弘道会会長で6代目山口組若頭補佐)が、後藤組の若頭を拉致。後藤容疑者の居場所を吐かせるべく拷問を繰り返したが口を割らなかったという。

 若頭の生命を保証する代わりに後藤組の解散を迫られた結果、後藤組の解散届が地元署に届けられ、山口組の本部にも詫び状が出され、その後、後藤容疑者は消息を絶っていた。

 後藤容疑者は竹中4代目らの射殺事件に関して殺人容疑で指名手配されたが、当時の公訴時効の年限が適用され、すでに時効が成立している。

 ヤクザ界隈では、時効が成立してからも行方知れずだったこともあって、「すでに亡くなっている」との見方が強かった。それだけに、今回、消息が判明したことのインパクトは大きく、「どうやって逃げ切ったのか」に注目が集まっている。

彫り師で整形手術説も

 今とは違って監視カメラ・防犯カメラの整備が徹底していない時代だからというのは誰もが思い浮かべるストーリーだろうが……。

「後藤容疑者はもともと彫り師で、独自の人脈を頼って逃亡していたのでしょう。整形手術を受けて以前より男前になっていたとの情報もあります」

 と、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は、NPO法人「五仁會」を主宰)。竹垣氏は初代竹中組(竹中正久組長)で組長秘書を務めた。

 一和会は解散し、頼れる組織もなかったわけだが、組織のサポートを受けることで潜伏先などが突き止められる可能性もままある。独自の逃走戦略が後藤容疑者にとって奏功したと言えるのかもしれない。

「最終的には長崎の土木建設業者に何人かの人夫を派遣してその手数料で生活していたと聞きました」(同)

 竹中4代目の射殺事件やその後の逃亡生活について聞かれた際、後藤容疑者はどう答えるのだろうか。

デイリー新潮編集部

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