〈一村の少女全部が姿を消す〉〈娘売る山形の寒村〉…未曾有の「世界恐慌」が日本にもたらした“失業地獄”の惨酷な現実【昭和の暴落と恐慌】

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第1回【「とうとう銀行が破綻しました」蔵相の失言が取り付け騒ぎの引き金に…それでも当の銀行幹部が「笑みを浮かべた」は本当か】のつづき

 8月に起こった日経平均株価の乱高下。2008年9月15日のリーマン・ショックをはじめ、株価の暴落はこれまで何度も起こっているが、中には大恐慌という“地獄”への号令となった例もある。「世界的な大恐慌は再来する」という主張が以前から見受けられるだけに、何がその引き金になるのか、投資に熱心ではない層も気になるところだろう。

 本シリーズでは、昭和初期の日本が見舞われた恐慌と暴落を振り返る。第一次世界大戦後、日本を襲った恐慌は戦後恐慌と震災恐慌、昭和金融恐慌、世界恐慌の4つ。そのうち1929(昭和4)年の世界恐慌は、日本で昭和恐慌とも呼ばれる。世界的に見てもいまだに過去最大とされるこの恐慌は、米ウォール街の株価暴落が引き金だった。

 ただし識者によれば、当初の日本は暴落を「あまり深刻に受け止めていなかった」という。そのはずがなぜ、街に失業者があふれ、農村から少女の姿が消え、国民が食うや食わずの生活を送る羽目になったのか。

(全3回の第2回:「週刊新潮」2008年10月23日号より「ドキュメント『大恐慌』1929年の日本」をもとに再構成しました。文中の年代、役職、年齢などの表記は掲載当時のものです)

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未曽有の世界大恐慌の幕開け

 昭和初期に日本が見舞われた世界大恐慌とは、果たしてどんなものだったのか。まず、1927(昭和2)年の「昭和金融恐慌」が、日本には伏線として存在していた。

「当時の片岡直温蔵相の失言をきっかけに、東京渡辺銀行が休業に追い込まれ、昭和金融恐慌が起きた。2年後の1929(昭和4)年は、まだその傷跡が完全には癒えていなかった」(高木勝・明治大学政治経済学部教授)

 そして、その1929年の10月24日木曜日、ニューヨークの株式市場は12.8%の下落率を記録。突然の惨劇に自ら命を絶つ者も続出したという、のちに「暗黒の木曜日」と呼ばれることになる日を迎えたのだ。未曽有の世界大恐慌の幕開けであった。

「当時、米国は第一次世界大戦の敗戦国・ドイツに投資していましたが、株価暴落のためそれをやめます。結果、ドイツの銀行が次々に破綻。イギリス、北欧諸国にも広まり、その影響がまた米国に逆流していき、世界が大不況になっていったのです」(日本近現代史学者の中村正則・一橋大学名誉教授)

 この濁流に日本も飲み込まれていったのだった。

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