「とうとう銀行が破綻しました」蔵相の失言が取り付け騒ぎの引き金に…それでも当の銀行幹部が「笑みを浮かべた」は本当か【昭和の暴落と恐慌】

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 8月に起こった日経平均株価の乱高下。2008年9月15日のリーマン・ショックをはじめ、株価の暴落はこれまで何度も起こっているが、中には大恐慌という“地獄”への号令となった例もある。「世界的な大恐慌は再来する」といった主張も以前から見受けられるだけに、今度は何がその引き金になるのか、投資に熱心ではない層も気になるところだろう。

 本シリーズでは、昭和初期の日本が見舞われた恐慌と暴落を振り返る。第一次世界大戦後、日本を襲った恐慌は戦後恐慌と関東大震災による震災恐慌、昭和金融恐慌、世界恐慌の4つ。そのうち1927(昭和2)年の昭和金融恐慌は、震災恐慌で負った痛手が癒えないなか、「渡辺銀行が破綻した」という事実誤認の閣僚発言が引き金となった。

 実際に危機に瀕していた渡辺銀行にとってこの失言は「渡りに船」であり、知った銀行幹部は笑みを浮かべたとする文献もある。だが昭和が終わった1980年代末、渡辺家の子孫と『失言恐慌』の著者である佐高信氏は、この見方に疑問を呈していた。

(全3回の第1回:「週刊新潮」1989年2月9日号「昭和史あらしの果て」より「昭和金融恐慌の引金『大蔵大臣』の失言」をもとに再構成しました。文中の肩書き等は掲載当時のままです)

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取り付け騒ぎが全国に波及

 関東大震災後の大混乱の中で、誰もが不安を感じていた。いわば、ガスが充満した部屋で、マッチを擦ったようなものだったのかもしれない――。

 時の大蔵大臣の、たった一言の不用意な発言。それが引き金となって、全国いたるところで銀行の取り付け騒ぎが起こってしまった。これが金融恐慌の始まりである。

 片岡直温(なおはる)蔵相の失言が飛び出したのは、改元されて間もない1927(昭和2)年3月14日の衆議院予算委員会。当時、若槻内閣は、関東大震災後の経済的混乱を収拾するため、議会に震災手形に関する2法案を提出していた。

 震災手形を大量に所有する企業や銀行には危機説が流れており、その最たるものが、一流商社だった鈴木商店と台湾銀行。「台湾銀行の所有する震災手形の金額を示せ」と迫る野党代議士に対し、片岡蔵相は唐突に、こう答えてしまう。

「今日正午頃に於て渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」

 この報が伝わると、東京や横浜の中小銀行に預金者が殺到し、取り付け騒ぎは全国に波及。1カ月余の間に37もの銀行が休業や倒産に追い込まれてしまったのである。

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