「松下幸之助」15歳の逸話 奉公先を辞めたい“経営の神様”の行動から学べること
親に芸能界入りを反対された小堺一機
続いては、タレントの小堺一機さんのエピソードです。
学生のとき、かつての人気番組「ぎんざNOW!」のなかの人気コーナー「しろうとコメディアン道場」で、5週勝ち抜きを果たして17代目のチャンピオンになった小堺さん。本気でプロのお笑いタレントになりたいと考えます。しかし、親からは猛反対されます。
(問題)親から「タレントなんてティッシュみたいなもんで使い捨てだぞ」と言われた小堺さんは、何と言って両親を説得したでしょう?
(ヒント)両親からの言葉をうまく切り返しました。
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(答え)「じゃあ僕は、洗って何度も使ってもらえるハンカチになります」と言った。
小堺さんは、親の言葉をこう切り返して、「3年だけやらせてください」と言って説得。お笑いの世界に入りました。ちなみに、この「ぎんざNOW!」(1972~1979年)の「しろうとコメディアン道場」の初代チャンピオンは関根勤さん。
小堺さんは、縁あって関根さんと下北沢のライブハウスで下積み時代を過ごすことになります。やがて2人は、欽ちゃんこと萩本欽一さんの人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」(1976~1986年)でレギュラーを獲得。2人の名前をとった「コサキン」コンビとして、ラジオや舞台などで活躍することに。
小堺さんは、1984年にお昼の帯番組「ライオンのいただきます」の司会に抜擢されると、以降30年以上も「お昼の顔」として活躍しました。洗って使われるハンカチどころか、雑巾のごとく(小堺さん、失礼!)芸能界で生き残り続けています。それもこれも、あの日、両親を説得して、芸能界に飛び込んだからなのです。
落語家の「弟子入りの条件」
落語家の世界では、若者が弟子入りを希望してきたとき、「落語家に弟子入りすることについて、親の承諾を得ている」というのが必須条件なのだとか。
その理由は、「親を説得することもできないヤツに、お客の心を動かす噺ができるわけがない」から。なかなか説得力がある理由です。
親は、子どもを心配するあまり、自分の「古い価値観」を押しつけてしまいがち。その結果、子どもの可能性をつみとってしまったり、ヘタすると不幸にしてしまったりすることも……。
たしかに、ブラック企業に入ってしまったのに、「会社を辞めてはいけない。定年まで勤めてこそ」という親の言葉が刷り込みになっていて会社を辞めることができなければ、親の言葉は「呪いの言葉」にだってなりかねません。
現代では、親の意見は、心配してくれる気持ちだけは有り難くいただいて、「あくまで参考程度に聞く」のがよいと思います。
(ポイント)従うのは「親の意見」ではなく「自分の心の声」
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この記事の前編では、同じく『一流は何を考えているのか』(Gakken)より、将棋の天才「藤井聡太」が5歳の時に言い放った“ある言葉”について、エピソードを交えご紹介している。