「松下幸之助」15歳の逸話 奉公先を辞めたい“経営の神様”の行動から学べること
パナソニックホールディングスを一代で築き上げ、かつて「経営の神様」と呼ばれた実業家の松下幸之助(1894~1989年)。奉公先で働いていた15歳のとき、街角で路面電車を見て衝撃を受け、「奉公先を辞めて電気にかかわる仕事がしたい!」と思い立つ。しかし、恩義がある奉公先は簡単には辞められない――。
(前後編の後編)
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※この記事は、『一流は何を考えているのか』(西沢泰生著、Gakken)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
どうしても「電気」にかかわる仕事がしたい…!
松下幸之助さんは、父親の事業の失敗によって9歳のときに、小学校を中退して奉公に出たそうです。2軒目の奉公先である自転車屋さんで働いていたある日のこと。15歳になっていた幸之助少年は配達の途中で、大阪にできたばかりの路面電車を目撃して、衝撃を受けます。「これからは電気の時代になる!」と直感したのです。
その日以来、路面電車を見るたびに「電気にかかわる仕事がしたい、電気にかかわる仕事がしたい」という思いが高まっていきます。しかし、自分の立場は奉公人。恩義がある自転車屋さんに対して「辞める」とは言い出しにくい……。
(問題)幸之助少年が、奉公先を辞めるためにやったのはどんなことだったでしょう?
(ヒント)奉公先に、「あるウソ」をつきました。
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(答え)人に頼んで、自分宛てに「ハハ、ビョウキ」というニセの電報を打ってもらった。
考えに考えた末、幸之助さんは、自分宛てに「ハハ、ビョウキ」というニセの電報を打ってもらうという苦肉の策を思いつきました。
人生には「やむにやまれぬ選択」が必要なことも
この電報を奉公先の主人に見せて暇をもらい、なんとそのまま、大阪電灯という会社(現、関西電力)に就職してしまったのです。
「えー、松下幸之助さん最低~」って思いますか?
でも、街角で偶然に「未来」を見てしまった幸之助少年にとっては、まさに雷に打たれたような運命の出会いで、沸き上がる思いをどうしても抑えることができなかった。
悩んだ末の、やむにやまれぬ選択だったのではないでしょうか?やりたいことが見つかったのに、どうしても動きが取れないとき。私は「嘘も方便」だと思っています。
たとえウソをついたとしても、自分の人生を優先させるべきだと思うのですが、いかがでしょう?あっ、松下幸之助さんの名誉のために補足すると、後日、自転車屋さんのご主人に、お詫びと「奉公を辞めたい」という内容の手紙を送っています。
ちなみに、転職した大阪電灯では、とんとん拍子に出世し、最年少で検査員に就任した松下さん。しかし、自分が開発した電気のソケットを会社がまったく評価してくれなかったことから、22歳のときに退職して独立。これが、「世界の松下」への道の第一歩になるのです。
(ポイント)自分の人生のためなら、ときには「嘘も方便」
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