なぜ世間は秋篠宮家をバッシングせずにはいられないのか 秋篠宮さまと親交の深いジャーナリストが近況をレポート

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皇嗣家の重みは増すばかり

 実際に両陛下が6月下旬、英国を公式訪問した日程の中で、チャールズ国王夫妻主催の晩さん会など国賓としての行事には揃って出席したものの、ロンドン郊外のウィンザー城にあるエリザベス女王とフィリップ殿下の墓には天皇陛下が一人で供花。また、テムズ川の可動式高潮対策施設「テムズバリア」や、世界的に有名なキュー王立植物園の視察も陛下のみ。ロンドン市内のホテルでは「日本協会」(ジャパンソサエティー)など日英友好5団体が主催するレセプションが催されたのだが、ここにも皇后さまの姿はなかった。この英国訪問には、長年にわたり献身的に皇后さまの治療を続けている主治医も同行している。

 先ほど触れた7月の「後宇多天皇七百年式年祭の儀」「明治天皇例祭の儀」に関しては、皇后さまはいずれも欠席している。海外親善だけでなく宮中祭祀への取り組み方も今後の課題とされる中で、両陛下、すなわち「令和皇室」を支える皇嗣家の重みはいっそう増すばかりだ。となれば、あらためて国民と向き合い、関係を構築するための「工夫」が不可欠である。

求められる「正確な情報」

 昨年11月27日の記者会見で秋篠宮さまは、宮邸の改修工事が完了しながらも佳子さまが分室(旧「御仮寓所」)で生活することになった経緯や、当初の計画からの変更点を公表しなかった理由について、記者会から尋ねられた。この件は昨年、宮内庁の説明不足など対応のまずさもあって世間の反発を招いていたものだ。

 質問を受け秋篠宮さまは、

〈こういうことを公表するという段階で、(略)私自身がそのことについて、かなりぐずぐずしていたということがあります。つまり引き延ばしてしまい、非常にタイミングとして遅くなったなというのが反省点です〉

 異例ともいえる率直な物言いで返答し、さらに続けて、

〈(情報などを)タイムリーに出すという必要があったなと思っています〉

 本来であれば役所が答弁すべきフレーズを、自ら口にしたのだった。

 こうした経緯もあり、秋篠宮さま自身はもとより、今後は宮内庁や皇嗣職もまた、ご一家に関連する正確な情報を、よりタイムリーに発信していかざるを得ないだろう。ひいては、それが秋篠宮家と国民との結びつきをより強めることに繋がるからである。

秋篠宮さまの成年式

 さかのぼること39年、1985年11月30日、秋篠宮さま(当時は礼宮文仁親王)は20歳の誕生日を迎え、皇居で荘厳な成年式が行われた。当時の報道によればこの日、秋篠宮さまは皇居・宮殿「春秋の間」で「加冠の儀」に臨んだ。裾の長さが6メートルを超える未成年者用の伝統的な装束「闕腋袍(けってきのほう)」を着て、頭には黒絹の額当て、手には笏(しゃく)を持っていた。秋篠宮さまの頭から侍従次長が額当てを外し、成年用の燕尾纓(えんびのえい)が付いた冠を被せた。続いて東宮侍従が、冠の掛緒(かけお)を顎で結び、緒の両端をはさみで切り落とした。

 成年用の伝統装束を身にまとった秋篠宮さまはこの後、二頭立ての儀装馬車に乗って宮中三殿へと赴き、参拝。その後、正殿「松の間」では「朝見の儀」が行われた。昭和天皇の前で、燕尾服に着替えた秋篠宮さまが、

〈成年皇族としてのつとめを自覚し、勉学にいそしみ、ご恩にお報い申し上げたく存じます〉

 そう述べると、

〈ますます身を鍛え心をみがき、皇族の本分を尽くすことを希望します〉

 昭和天皇はこのように励ました。来年に執り行われる悠仁さまの成年式もまた、これを踏襲して厳粛かつ華やかなものになるだろう。遠からず想定される佳子さまの結婚とあわせ、ご一家からは目が離せない。

江森敬冶(えもりけいじ)
ジャーナリスト。1956年生まれ。80年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者や編集委員などを経てジャーナリストに。著書に『秋篠宮』など。

週刊新潮 2024年9月12日号掲載

特別読物「『悠仁さま』ご成婚で重みを増す秋篠宮家の内情」より

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