初代タイガーマスクは「日本語が話せなかった」から、「猪木vsアリ戦」でショック死したファンまで、マニアも驚く秘話発掘
タイガーの日本語を受け入れていった子供たち
翌1983年4月5日放送の「ワールドプロレスリング」(4月3日の蔵前国技館大会の録画中継)で状況は一変する。首の負傷で欠場していたタイガーは、ライバル、小林邦昭 と初代ブラックタイガーの一騎打ちの解説で中継に出演。そして、流暢に言い放った。
「えぇ、えぇ。はい。はい。とにかく(僕も)首がまったく動かない状態でしてね~」
日本語だった。その是非はともかく、タイガーは英語とスペイン語しかしゃべれないと思っていた子供たちも、自然に、あるいは否応なく、タイガーの日本語を受け入れていった。
ところで、テレビ主導といえば、デビューから約4カ月ほど、タイガーのサイン会は、「タイガーマスク二世サイン会」と銘打たれていた。テレビ的には、初代タイガーはあくまでアニメ『タイガーマスク二世』のキャラだったのだ。コスチュームも、デビュー当初はアニメに出て来る「二世」をトレースしたデザインのものだった(のちに新間寿が原作の梶原一騎に「二世は取りましょう」と進言し、「佐山くんがやり続けるなら」と変更を快諾)。
アニメ「タイガーマスク二世」は、タイガーがデビューして9カ月後の1982年1月に終了。原作マンガはその後も続き、1982年7月から発売された講談社のKCマガジンコミックス(全4巻)は、すべての表紙にタイガー本人の写真が使われていた(1巻より順に、ブラックタイガーにローリングソバットをするタイガー、ブラックタイガーにラウンディングボディプレスをするタイガー、猪木とタイガー、コーナーポストに立つタイガー)。アニメのタイガーを、現実世界の初代タイガーが上回った瞬間だった。
~テレビ中継を観た「ファンのショック死」は猪木vsアリの放送でも起こっていた!~
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