初代タイガーマスクは「日本語が話せなかった」から、「猪木vsアリ戦」でショック死したファンまで、マニアも驚く秘話発掘

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 初代タイガーマスクはデビュー当初、国籍不明キャラだった!? テレビ中継を観たファンのショック死はあの「世紀の一戦」の夜にも起きていた……伝説のクイズ番組「カルトQ プロレス大会」(フジテレビ)で、番組史上最多の5万人以上の参加者から予選を勝ち抜き、優勝したのが「デイリー新潮」プロレス・コラムでおなじみの瑞佐富郎氏。このたび、数々の取材と調査をもとに、極上の秘話の数々を発掘した(以下は『アリは猪木戦の直前にプロレスラーと戦っていた! プロレス発掘秘史』(宝島社)より)。

~日本語がしゃべれない設定だった初代タイガーマスクの日本語解禁日~

スペイン語で話しかけてくるファンにはスペイン語で

 80年代の新日本プロレスブームを牽引した初代タイガーマスクのデビューは1981年4月23日(蔵前国技館。vs ダイナマイト・キッド)。先立つ3日前の4月20日より、テレビ朝日で始まったアニメ「タイガーマスク二世」との連動企画だった。以下は伝説のデビュー戦を報じる月刊誌『プロレス』(同年6月号)の記事である。

「このマスクマンの正体だが体の大きさ、カンフー技、イギリス仕込みのキッドと途中ロビンソンばりのバックの取り合いを見せたことから考えて、メキシコからイギリスに渡った佐山サトルらしいが、さて正体はいかに?」

 ご丁寧に誌面には佐山とタイガーの写真が並べられてもいた。このようにタイガーの正体は、専門紙誌では最初から公然の秘密とされる一方、芸能誌の切り口はあくまで一般読者向けだった。

「仮面をはぐ!! タイガーマスクは23才の日本人だ!」(『週刊明星』同年9月24日号)、「いま全マスコミが注目するナゾの男(タイガーマスク)」(『平凡パンチ』同年9月28日号)。『週刊明星』でインタビューに答えたタイガーは「23才の日本人です」「高校を中退して新日本プロレスに入った」と答え、『平凡パンチ』はマスクを外した後ろ姿を撮影している。

 これがテレビとなると、正体は完全不明の前提となる。デビューから1年以上が経った1982年5月14日放送の「ワールドプロレスリング」では、タイガーがテレビ解説席に登場(内容は前日の沖縄・奥武山体育館大会の録画中継)。タイガーは4月24日にダイビングプレスの着地に失敗し、右ヒザじん帯を損傷。まったく動けなくなり、4月27日の埼玉・秩父市民体育館大会では、試合で逆水平チョップ2発しか披露できず、あとはやられっ放しという惨状に(タイガー&グラン浜田vsペロ・アグアヨ&ホセ・ゴンザレス)。

 結局、5月1日から欠場となり、解説席に座ったわけだが、カメラに抜かれたタイガーは、両手を合わせ、欠場を平謝りするアクションをするばかり。実況の古舘伊知郎が説明を被せる。

「タイガーは、英語とスペイン語しかできないということで……」

 いま観返すと、その古舘の日本語でのフォローにタイガーがうなずくリアクションを取った時点で、日本語は理解できていたわけだが、日本語が話せないと信じた視聴者は多かっただろう。それは当時のプロレスファン、とくにタイガーマスクのファンは小学生が中心だったからだ(ちなみに初代タイガーに憧れた桜庭和志は当時12歳)。書店で雑誌を立ち読みする機会はあっただろうが、当時、専門誌は月刊の『プロレス』『ゴング』の2冊のみ。しかも、この2誌はすぐに売り切れるほどの人気があった。

『東京スポーツ』などのスポーツ紙を買う行為は、アダルト面があったため未成年にはハードルが高すぎた。大多数のファンはテレビでしかプロレスの情報を得ることができず、テレビ主導で進んでいた時代だったのだ。タイガーも、この“国籍不明”キャラクターを演じ、スペイン語で話しかけてくるファンには、しっかりとスペイン語で応対していた。

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