美し過ぎる第1回世界陸上やり投げ女王「ティーナ・リラク」 “運命の6投目”で魅せた「大逆転劇」をプレイバック(小林信也)

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 忘れられない女性アスリートがいる。1983年夏、ヘルシンキで開かれた第1回世界陸上。劇的な大逆転でやり投げの初代女王となった地元フィンランドのティーナ・リラクだ。

 181センチ、72キロ。投てき選手といえばやや肥満体を連想する私の目の前に現れたのは、むしろ細身にさえ感じる、均整の取れたスタイル。金髪が印象的な、美しく若い北欧女性だった。目元は涼しく、やはりフィンランド・ヘルシンキ生まれのトーべ・ヤンソンの名作「ムーミン」に出てくるミムラねえさんにも似た感じの穏やかな雰囲気さえある。

 現役の大学生、22歳のリラクは前年、72メートル40の世界記録をマークして、一躍注目を浴びる。その後ギリシャのソフィア・サコラファが74メートル20を記録しリラクを抜いたが、83年6月、74メートル76を投げてリラクは再びトップに返り咲いた(現行とやりの規格が違うため、今より少し遠くに飛んだ)。

 ヘルシンキ世界陸上は世界記録保持者として迎える大舞台だった。

 フィンランドでやり投げは、国技といわれるほど人気が高い。日本にいると実感が湧かないが、かつて日本選手がヘルシンキの国際大会に参加した時、

「やり投げを見に来た観客がスタジアムの外に長い行列を作っていて驚いた」

 と述懐しているほどだ。

 国民の期待を一身に集めて世界陸上の決勝に臨んだリラクは、しかし5投目まで満足のいく投てきができなかった。暫定2位。自分の優勝を期待する満員の大観衆の前で負けるわけにいかない。

 残るは最後の6投目。

美しい投てき動作

 追い込まれたリラクが助走路に立った。白とスカイブルー、爽やかなツートーンのユニフォームに身を包み、やりを頭上に構える。重圧と決意のせめぎ合うリラクの表情を、いまも思い出す。

 胸には日本企業TDKのゼッケンを着けていた。ゼッケンに企業名を入れる広告手法はまだ新しい試みだった。スポーツ界がアマチュアリズムからプロ化へとかじを切る過渡期、大会の商業化を模索していた国際陸連と広告代理店の勧めを受け入れ、大枚を投入したTDKの賭けは大成功した。欧米市場で飛躍的に知名度を上げたと業界では伝説となっている。その成功の一翼を担ったのが、大会のヒロイン・リラクだったといってもいい。

 決然とした表情で助走を始めたリラクは、最初は大きなステップ、そして勢いのある小さなサイドステップで流れるように投てき動作に入った。左手を45度の高さに上げ、右手を後方いっぱいに引いた美しい姿勢から、目にも留まらぬ素早さで右手を振り抜いた。放たれたやりが天空高く、滑るように進んだ。その勢いと角度を見たリラクは手応えを確信し、まだやりが空中で弧を描いているうちにスタンドに向かって駆け始めた(ように見えた)。頭の上で両手をたたき、満面の笑みを浮かべて駆け出したリラクの表情は大観衆と世界中の視聴者を魅了した。極度の緊張と重圧から解放された、目標達成の歓喜。

 その一投は、いま見ても言葉を失う。助走の勢いが圧倒的でしかも美しく、投てき動作の鋭さに息をのむ。

 全身で喜びを表すリラクの明るさと若々しい輝きに激しく心を奪われた。単純とも思える陸上競技のやり投げという種目の魅力を肌で感じた瞬間でもあった。

 記録は70メートル82。69メートル14センチで首位にいたイギリスのファティマ・ウィットブレッドを上回る劇的な逆転劇で栄えある第1回世界陸上やり投げ女王に輝いた。これがこの大会、地元フィンランドが取った唯一の金メダルだった。

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