大谷翔平の“デコピン始球式”だけではない!日本球界で愛された「ボール犬」 そして「ボールモンキー」も
ドジャース・大谷翔平が8月28日(日本時間29日)のオリオールズ戦の試合前のセレモニーで、愛犬・デコピンとともにグラウンドに登場した。プレート上にデコピンを残し、本塁から「よし!」と合図すると、デコピンは白球をくわえて、主人の待つ本塁へ。ほのぼのとした“始球式”が話題になった。そして、NPBでも過去には、ボール犬やボールモンキーが球審に試合球を届けるユニークなセレモニーが何度となく行われている。【久保田龍雄/ライター】
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【写真を見る】愛らしい仕草に野球ファンもにっこり 球場の人気者だった「ボール犬」ミッキー生前の姿
多くのファンに愛された「ミッキー」
日本初のボール犬としてデビューし、広島市民球場で3年間、試合球の運び役を務めていたのが、ゴールデンレトリバーのミッキー(オス)である。
1998年の「中国訓練チャンピオン決定競技会」でチャンピオンに選ばれ、警察犬の経験がないにもかかわらず、警察犬の模範演技をしたこともある優れた能力を買われ、広島・松田元オーナーの発案でボール犬として採用された。
デビューは2005年3月12日のオープン戦、ソフトバンク戦。3回と5回の終了後に3個のボールが入った竹籠をくわえて、球審のもとに運んでいくのが任務だった。
3回終了後、背番号「111(ワンワンワン)」を着けたミッキーがグラウンドに登場し、土山剛弘球審の「来い!」の声を合図に、本塁へと向かう。
スタンドの大歓声を受けて、さすがに慌てたのか、土山球審がボールを2個取ったところで戻ってしまうご愛嬌もあったが、2度目の5回終了後は球場の雰囲気にも慣れ、無事成功。訓練士の上野智美さんも「昨日は興奮して寝られなかったみたいですけど、リラックスしてやってくれた」とホッとした様子だった。
その後も「名物イベントとして定期的にやっていければ」(松田オーナー)の期待に応え、高齢で引退した2007年9月までボール犬を務めた。
2006年には写真集「ボール犬ミッキー」(幻冬舎)も発売されるなど、多くのファンに愛されたミッキーは2009年4月8日夜、老衰で、この世を去った。2日後に迫っていた新装マツダスタジアムの開幕戦の4月10日が12歳の誕生日で、人間に換算すると80歳台だった。
大観衆に驚き“2軍落ち”してしまった「エルフ」
前出のミッキーに対抗する形で、翌2006年、ロッテのベースボールドッグとしてデビューしたのが、ラブラドールレトリバーのエルフ(メス)である。
テレビ東京系の動物番組「ペット大集合!ポチたま」に出演した旅犬・まさお君と番組で公募した花嫁・ダイアンとの間に生まれた子犬で、球団が番組と提携する形でファンサービスの一環として実現。愛犬家のボビー・バレンタイン監督も「アメリカではたくさんのベースボールドッグが活躍している」と後押しした。
3月30日の日本ハム戦、生後9ヵ月(人間に換算すると11歳)でデビューをはたしたエルフは、前年限りで現役を引退した初芝清氏に始球式のボールを届けるのが任務だった。
ところが、エルフは初芝氏が待つマウンドには向かわず、一塁から二塁に走って、“盗塁成功(?)”。ショートの西岡剛が見かねてボールを奪い、事なきを得たと思いきや、今度はセンター方向に走り出すなど、迷走、また迷走だった。
その後、5月12日の広島戦の始球式では、ボールを無事マウンドに運び、エルフが登場した試合はいずれもロッテが勝利したことから、“勝利の女神”ともてはやされた。
さらに6月4日の広島戦では、チームの広島遠征に帯同し、先輩・ミッキーと競演。始球式を務めるロックバンド「くるり」のボーカル・岸田繁にボールを運ぶのが任務だったが、本拠地・千葉よりも多い2万1205人の大観衆に驚いたのか、ベンチにいた“教育係”里崎智也のもとへ助けを求めるように引き返してきた。
最後は関係者に連れられて何とか任務をはたしたものの、ミッキーが審判へのボール運びをスムーズに行っているのとは、あまりにも対照的で、「このままじゃ、ベースボールドッグとして定着するのは難しい」(関係者)と“2軍落ち”が決定。その後、テレビ番組の“子犬しつけ王選手権”で優勝した遠藤和博トレーナーから再教育を受けて“1軍復帰”をはたし、2007年には写真集「エルフ!マリ-ンズドッグ26+1」(ジュリアンパブリッシング)も発売された。
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