ワースト記録尽くしの「西武ライオンズ」…ロッテ戦16連敗は「松井稼頭央前監督」が当事者だった「因縁試合の祟り」との声も
対ロッテ戦、開幕から16連敗
9月10日、埼玉西武ライオンズの今季最下位が確定した。チーム打率2割8厘、290得点は12球団ワースト(10日現在)。また、12日にはシーズン85敗目となり(対楽天戦)、球団ワースト記録を更新した。このように、とにかく今季は「ワースト尽くし」が目立った西武。その中でも、同一カードのプロ野球連敗記録となった対ロッテ開幕から16連敗は、球団だけでなくファンにとっても不名誉な記録となった。
【写真】モデル並みのカッコよさ!! ユニフォーム以外でも魅せた松井前監督の姿
「パ・リーグで関東地方に本拠を置く西武とロッテは、2013年シリーズから『埼玉vs千葉シリーズ』と銘打ち、双方のホーム球場で対戦する企画がありました。西武は『Saitama』、ロッテは『CHIBA』ユニフォームを着て、埼玉県と千葉県もバックアップ。関連グッズも販売されて大いに盛り上がったものです」(スポーツ紙デスク)
数々の名勝負もあった西武とロッテだが、もう少し時代を遡ると、両チームのファンにとって、忘れることのできない一戦があるという。
「今年はとにかくロッテに勝てなかったですよね。もちろん、チーム力が弱かったから、あれだけ連敗したわけですが、負け試合の帰りに一杯やった時、冗談交じりで“あの時の試合の祟りじゃないのか”なんてファン同士で語り合ったものです。何しろ当事者の一人が、成績不振で5月に休養した松井稼頭央前監督(48)ですから。対ロッテ16連敗とあわせて、監督休養後もまったくいい展開がなかったですし……」(50代の西武ファン男性)
その試合とは、1998年10月12日、西武ドーム(当時、以下同)で行われた、ロッテvs西武の最終戦だった。
既に西武はリーグ優勝を決めていたが、パ・リーグの公式戦最終戦でもあり、13勝13敗1分でロッテを迎えた西武ドームには、2万6000人の観客が詰めかけた。ファンの関心の的は、西武・松井とロッテ・小坂誠(51)との盗塁王のタイトル争いだった。
小坂は168センチ、63キロと小柄な体ながら「あれだけの足と守備があれば、体の小ささはカバーできる」という当時のスカウトの強い推薦があり、JR東日本東北を経て、1996年ドラフト5位でロッテに入団。1年目の97年シーズンから遊撃手としてレギュラーに定着した。
「巧いだけでなく、とにかく守備範囲が広い。頑強な脚力でボールに追いつき、着実な守備を見せるのです。ファンの間では“小坂ゾーン”とか“平成の牛若丸”と言われた華麗な守備と足の速さが印象に残っています」(前出・ファン)
デビュー年に記録した56盗塁は、新人最多記録としていまだ破られていない。ちなみにこの年、62盗塁でリーグ盗塁王になったのが松井で、翌98年シーズンも、松井と小坂の2年連続となる盗塁王争いに、ファンの注目が集まっていたのである。
多くのファンの前で…
「最終戦時点での盗塁数は小坂43個、松井は42個と、その差はわずかに1個でした。試合はまず3回、松井が2塁打で出塁し、3盗を狙いますが2,3塁間で挟まれアウト。4回は小坂が左中間に2塁打を打ち、直後に3盗を試みたものの失敗します」(前出・デスク)
両チームとも、自軍の選手に盗塁王をとらせたい一心で、手に汗を握る攻防となるはずだった。だが7回、ついに“事件”が起きる。
1死後、小坂がヒットで出塁する。ここで2盗を決めれば単独での盗塁王タイトルが確定する。西武の投手、芝崎和広(53)はいきなり牽制、それも悪送球をした。平野謙・1塁コーチ(69)は小坂の2進を制止する。すると芝崎は次の投球で、セットポジションで静止しない、明らかに故意のボークという暴挙に出る。小坂はしぶしぶ2塁へ。そして3盗を狙うがここでも失敗した。
同じ7回の裏。松井は安打を放ち、2死1、2塁に。ここでダブルスチールをかけて見事に盗塁成功。小坂と同じ43個となり、盗塁王を分け合うことになった。
「悪送球で小坂が走らなかったのはオレが“待て! 行くな!”って言ったんだ。あいつはためらっていたけどね。ボークはわざとじゃないかな。あれでしらけたね」(平野コーチ談・1998年10月13日付スポーツニッポン)
「ボークでもいいぞと言ってたけど、あそこまで露骨にやるとは……」(西武の杉本正投手コーチ(65)談・1998年10月13日付日刊スポーツ)
当時の西武・東尾修監督(74)は、試合後にこう語っている。
「面白いというか、醜いというかな。ガハハハ」(同・日刊スポーツ)
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