「老化を隠さず、堂々と胸を張って老人を主張する」 横尾忠則が考える「若い情熱が湧いてくる生き方」とは
70歳の時、顔面神経麻痺になりました。飲み物を口にすると、なんとなく口の端から流れ落ちるような感覚があって、まあ、老化の一種ぐらいに軽く考えていたのですが、鏡を見るとなんとなく口の一方が吊り上っているような気がするので、病院に行くと、すぐ「顔面神経麻痺です」と言われ、即入院することになってしまいました。
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しかし、これが「何から来ているかわからない」ということで、例えば脳から来る場合などがあるので精密検査をしましょうと、東大病院を訪ねることになったのです。顔に電流を通すような電気治療を、足にも行ったり、尾骶骨に太い注射針を刺して、脳の中の液体を採取したり、なんだかんだされながら、結局ステロイドの点滴だかで、吊り上った口唇がやっと元に戻るという、なんだか実験台にかけられたようでした。しかもステロイドのお陰で、持病の喘息が治ったりもしましたが、病気はこれだけではなかったのです。
次に起こったのは帯状疱疹です。ある日突然右肩の腕のつけ根の辺りに、鷹の爪がギュッと食い込んだような激痛が走ったのですが、これが帯状疱疹だったのです。この場合も入院して色々治療を受けたものの痛みは取れず、その内、神経痛のようになって慢性化し始めました。
病院も半ばサジを投げ、西洋医療の限界が見えてきました。ヤレヤレと半年の間、痛みを抱えたままの生活をしていたのですが、ある日、友人の編集者が、温泉の旅の連載を依頼してきたため、これも何かの縁かも知れないと思って、草津温泉に行くことにしたのです。ところが草津のお湯は熱湯みたいで、5、6秒で飛び出してしまいました。
すると脱衣場の注意事項の掲示板には、初日は6秒までで、翌日から、2、3分でもOKですと書いてあったのです。そして、次の日の朝、別の湯舟に。この時は2、3分の入浴。そして朝食の部屋へ。
その時、仲居さんが背後から声を掛けたので、「エッ」と返事をし振り向きました。この半年間神経痛化した首の痛みのために首を回転することなど全くできなかったのに、仲居さんの声に思わず振り向いたら、痛みもなく、首が半回転したのです。僕は思わず、「治った!」と叫びました。本当に痛みがなかったのです。昨夜のたった6秒と今朝の2、3分の入浴であの、信じられない帯状疱疹の痛みがケロッと完治してしまっていたのです。
顔面神経麻痺と帯状疱疹の二刀流で苦しみ続けた後、この苦痛から解放されるなり僕は早速『隠居宣言』という本を書いて老人宣言をしました。老化を通り越して完全な老人になっていたのです。これは隠すべきことではない。公言することによって、老人意識を社会化、つまり外部化するべきだと思ったのです。老人意識を外部化することによって内身を燃焼させる。外身を冷えさせ、内身を燃えさせる。
どういうことかというと、内身を創作意欲一色にしてしまうことなんです。若い頃は内外が燃えていたけれど、老いることによって変化するのです。逆に外身が燃えると、どんどん内身が衰弱してくるのです。内身を燃やすということは創造力を高め、これが自力、他力の器を作ることになるので非常に大切なことなんです。
一休和尚はハデな格好で、また高僧になればなるほどハデな僧衣を身につけました。これは内身を燃やした結果の行為です。そして動くことです。旅を通して行動する。旅を徘徊と考えればいいのです。このようにして外身が冷めてくると、内身の欲するものが動き出してくるのです。
もう一度言いますが外身は社会的なものへの欲求、まあ煩悩に対する興味ですが、内身はむしろ欲望から離れた創造性に没頭することです。
富岡鉄斎は文人画、素人と玄人の間で活動しました。鉄斎もそうですが、ダビンチの時代は実はプロはいなかったのです。作家ではなく職人でした。ダビンチや鉄斎が色んなことができたのは根底に素人根性があったからなのです。
老人が老人で終るのは老人意識をどこかで隠蔽しているからです。そうではなくて、老人を前面に強調して、堂々と胸を張って老人を主張する、つまり内身を燃やす。ということは何度も言いますが創造的人間になることです。創造的人間になれば自ずと、若い情熱が内身からフツフツと湧いてきて、一休和尚のようにうんとハデなファッションがしたくなります。老人の中でもうんとハデなファッションの人を見かけますが、その人は内身を創造的に燃やしている人です。
老人を主張することは如何にも老人らしい老人になることではなく、若者のような老人になることです。もし延命したければね。