「電線音頭」に「小松の親分さん」で一世風靡 植木等を“オヤジさん”と呼んだ「小松政夫」唯一無二のコメディアン人生

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日本喜劇人協会の会長として

 そんな小松さんは2011年、日本喜劇人協会の会長という要職に就き、15年5月26日に都内のホテルで開かれた感謝祭で、約350人の出席者の前であいさつした。

「昔のお笑い芸人のたまり場ではなく、いろんな世代、ジャンルの人がチャレンジできる場に協会をしていきたい」

 日本喜劇人協会は1962年に発足、エノケンこと榎本健一さん(1904~1970)が初代会長に就任した。以降、森繁久彌さん(1913~2009)や森光子さん(1920~2012)、橋達也さん らが会長を務めたが、正直この数年は活動と言ってもそれらしい活動はしておらず、かつて一世を風靡した芸人たちのたまり場、憩いの場と言っても良かった。時代の流れからは遅れ、若手芸人からは「日本喜劇人協会って何?」という声すら上がっていた。

 小松さんは感謝祭で、協会を発展させる3つの方針を挙げた。

【1】喜劇に想(おも)いがあるあらゆる分野の方にオープンな場とする
【2】後進の育成を含め、喜劇のあり方・可能性を発信できる場とする
【3】メディアとの連携を通じ、喜劇が届く環境づくりを行う

 うーむ。確かにその通りなのだが……。

 このあいさつから5年後の2020年12月、小松さんは旅立つ。でも、享年78は若すぎる。前年の19年、がんが見つかり、入退院を繰り返していたというが、がん細胞は恐ろしいほど早く増殖する。今日は元気でも明日は急変し、意識を失うこともある。

 私自身、原稿を書きながらもパソコンを操作する手が自然に震え、頭がめまいでクラクラして意識を失いそうになる(最近、9月に入ってから)。呼吸器官への転移も恐ろしい。

 小松さんも予期せぬ現実に、絶望の日々を過ごしていたに違いない。

 人生ってつらいなあ。でも私は、イギリス出身の映画俳優、監督、脚本家、コメディアンであるチャールズ・チャップリン(1889~1977)の言葉を思い起こす。

「人生は恐れさえしなければ素晴らしいものになる。必要なのは勇気と想像力…そして少しばかりのお金だ」

 私も大いに笑い、免疫力をアップさせて頑張ろう!

 小松さん、生きる希望を与えてくれて本当にありがとう。

 次回は「北海のヒグマ」「道東のケネディー」と呼ばれた政治家・中川一郎氏(1925~1983)。いまもその悲報をめぐっては様々に言われているが、かつて私は中川が選挙区とした北海道東部の根室地方に勤務し、選挙取材を通じて中川氏が莫大な権力を築いていたのをつぶさに見た。権力者にとって「死」とは一体なんなのだろう。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴36年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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