「電線音頭」に「小松の親分さん」で一世風靡 植木等を“オヤジさん”と呼んだ「小松政夫」唯一無二のコメディアン人生
頭を叩かれると「痛ぇーな、痛ぇーな、痛ぇーな」。いじけるとポケットからカエルを取り出して遊ぶものの、みんなで「♪ズンズンズンズンズンズンズン…小松の親分さん」と盛り上げれば瞬時に元どおり……。いまも目に浮かぶ名物ギャグの数々。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は小松政夫さん(1942~2020)です。稀代の喜劇人はどんな人生を送ったのでしょうか。
【写真】“オヤジさん”と慕った植木等との貴重な2ショットから、取材で見せた貴重なオフショット。意外な“小松の親分さんの素顔”
「あんたはエライ!」
笑いは人間の免疫力を高めると言われている。でも、末期がんを宣告され、全身の骨の痛みや吐き気、めまいなど、健常者のような生活は困難な私自身の立場から言えば、なかなか笑うことが少なくなった。
だとしても、思い切り笑いたい。
そういえば、この人が日本のお笑い界からいなくなって何だか寂しくなった。テレビ番組も規制が強まり、何かと言えば「管理、管理」の掛け声で面白くなくなったような気がする。
もう一度会いたい。
「どーかひとつ」「あんたはエライ!」……。印象的な決めぜりふで人気を呼んだコメディアン・小松政夫(本名・松崎雅臣)さんだ。
一大ブームを巻き起こした「電線音頭」のほか、特異なキャラクターの「小松の親分さん」を演じ、「しらけ鳥音頭」などでもお茶の間を楽しませた。「娯楽」より「芸術」のほうが高尚と言われてきた日本の社会で、この人はそう区別の無意味を実証的かつ面白く演じてきたのではないだろうか。
小松さんがテレビに登場した当時、私は10代。近所の道端では小学生たちが「電線音頭」を歌って「小松の親分さん」をまねしていた。「電線音頭」のかぶり物は、どこで調達したのだろう。
1970年代の日本では、子どもたちが街頭で流行歌を歌ったり、有名人の物まねをしたり、プロレスごっこをしたりして、無邪気に遊んでいたものである。まだおおらかだった時代だ。大人たちも寛容な目で子どもの遊びを眺めていた。
あの「しらけ鳥音頭」は「南の空へ」飛んでいくのだが、「北の空」だと演歌調になってしまう。温かな空気に包まれ、のんびりとした南の空が「しらけ鳥」には似合うのである。さらに、「みじめ、みじめ~」と哀愁ある歌詞が、小松の親分さんの雰囲気とぴったりマッチしていた。
小松さんは2020年12月7日、肝細胞がんのため東京都内の病院で亡くなった。78歳だった。実はこの年はコロナ禍。3月29日にはコメディアの志村けんさん(1950~2020)も70歳で亡くなっている。日本を代表する名コメディアンの悲報に、ファンは悲しみに暮れた。感染症予防のため志村さんの遺族は面会できなかったそうだが、小松さんもたったひとりで旅立ってしまったのか。
「俺より先に逝くなんてばかやろう。会いたかった」
共演した喜劇役者の伊東四朗さん(87)が悼んだ小松さんの死。喜劇を「人情喜劇」と見るか、「ナンセンス喜劇」と見るかで大きく分かれるが、小松さんはそうした単純な区分で見ることができない魅力を持っていた稀有な喜劇人だったと言えるだろう。
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