桑田佳祐も「不届きがすごい」とあきれた伝説のロック・スターとは 下ネタ的エピソード連発の自伝の中身

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 サザンオールスターズの桑田佳祐の歌詞の中には、放送コードスレスレのものも珍しくない。MVやライブでは肌もあらわな女性たちが艶めかしい動きを見せるのも定番。新曲「恋のブギウギナイト」でもセクシーな女性たちのダンスが全面的にフィーチャーされている。

 これらは圧倒的な実績と人気によって許容、いや歓迎されているのだが、新人アーティストが同様のことをやってみせたら、とかく「性の商品化」に敏感な昨今の風潮からすれば「アウト」とされたり、炎上に追い込まれたりするかもしれない。

「不届き」なキース・エマーソン

 その桑田が9月7日に放送された自身の番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FMなど)で「最近読んでいる本」として挙げたのが『不道徳ロック講座』(神舘和典・著)。本の中で紹介しているミック・ジャガー(ザ・ローリング・ストーンズ)らの「女癖」、スティーヴン・タイラー(エアロスミス)のドラッグ遍歴について触れたのだが、そこで名前こそ出したものの何をしたかまでは触れず、「不届きがすごい」とだけ評されていたのが、キース・エマーソン(エマーソン・レイク&パーマー)だ。

 ストーンズ、エアロと比べるとキース・エマーソンが在席していたエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)に、「不道徳」というイメージを持つ方は少ないだろう。プログレッシヴ・ロックはどちらかといえば「知的」なロックと受け止められていて、アーティストもそういうタイプと見られがちだ。

 では何がそんなに「不届き」なのか? 同書をもとに見てみよう(以下は『不道徳ロック講座』を抜粋、再編集しました)。

オープン過ぎる自伝

 スティーヴン・タイラー、キース・リチャーズ、エリック・クラプトン等々、ロック・スターの自伝はとてもオープンである。異性関係から薬物依存まで何でも告白している。

 しかし彼ら以上にあけすけな自伝を残しているのが、EL&Pのキーボードプレイヤー、キース・エマーソンだ。彼は『キース・エマーソン自伝』(キース・エマーソン著/川本聡胤訳/三修社刊)で異性関係を包み隠さずに告白している。

 以下、同書をもとに紹介しよう。

 キースは1944年にイギリス、ヨークシャー州のトッドモーデンで生まれた。1968年にバンド、ナイスのメンバーとして『ナイスの思想』でアルバムデビューした。プログレシーンを席巻したEL&Pの結成は1970年だ。

 キースの自伝は圧倒的におもしろい。メディアを通しての彼は、神経質で、暴力的なイメージ。しかし音楽に対しては真摯で、自伝では無邪気さも見せる。傷ついて落ち込んだり、女性との行為を前に怯えたりする様子を正直に打ち明けている。その描写はかなり滑稽で、多くの読者はキースに親近感を覚えるのではないか。

 キース・エマーソンは超絶技巧のテクニックに加え、ハモンドオルガンに乗って揺らし、鍵盤やボディにナイフを突き刺すパフォーマンスで全世界を魅了した。EL&Pでは、ベーシストのグレッグ・レイク、ドラマーのカール・パーマーとともに、『タルカス』『展覧会の絵』『恐怖の頭脳改革』など名作をレコーディングしている。

 彼はEL&Pを結成する以前、1968年にナイスのメンバーとして初めてニューヨークを訪れた。自由の女神やエンパイアステートビルを見ようと車の窓から顔を出したことが無邪気に語られていく。そしてニューヨークでのライヴの開演前、出演するクラブでリンという細身のブロンド嬢にナンパされる。日本でいうところの“逆ナン”だ。

「面喰らってしまった。イギリスの女性は概してよそよそしかったので、私はアメリカでこのように女性の方から大胆に声をかけられるのにはまだ慣れていなかったのだ。でも誘われたからには、私はもう何もかも忘れることにした」(『キース・エマーソン自伝』より、以下同)

 そう言い訳をしている。

「まずは差し出されたマリファナを受け取り、リンというこの女性を私のホテルに連れ込んだ」

 そして、行為に及ぶ。

 翌日は彼女に誘われて高級アパートを訪問し、リンの友人の女性も交えた3人でのプレイを試みている。その様子も「自伝」に書いている。

「リンは私を招いて、友人を喜ばせるように促した。言われた通りその友人を喜ばせている間、私は自分も満たされるべきなのかどうか疑問に思った。つまりこの女性にはめている間、その友人が目の前にいるわけで、こういう時に何かエチケットでもあるのかどうか、わからなかったのだ」

 キースの欲望は尽きない。さらにその日のライヴの後も、女性たちの待つアパートを訪れる。

 しかし、想定外のことが起きた。夜になると彼女たちのアパートには見知らぬ男もいたのだ。4人でやろう、と言われてキースはうろたえた。

 そしてさすがにその誘いには乗れず、彼はそっとアパートを後にした。

EL&Pの女性“共同使用”ルール

『キース・エマーソン自伝』では、バンド内のとんでもないルールも明かされている。

 EL&Pの3人は結成当初から頻繁にけんかをしていた。このままではすぐに解散してしまう──。それを防ぐために、キースはついてくる女性は皆メンバー3人の“共同使用”にするというルールを設けた。バンドのけんかや解散の多くは女性が原因だと考えていたのだ。

 この1970年にはビートルズが解散している。原因は、オノ・ヨーコやリンダ・イーストマン(後にポール・マッカートニーと結婚してリンダ・マッカートニー)がバンドのミーティングに介入したからだとキースは考えていたのだ。実際に、ジョンは、ビートルズのメンバーよりもヨーコの意見を尊重していた。ポールは、リンダの父親のリー・イーストマンをビートルズのマネージャーに推し、アレン・クラインを推す3人のメンバーと溝ができた。

 そこで、EL&Pの現場には妻も恋人も禁止にした。その代わり、バンドに近づいてくるほかの女性は3人の共有というルールを作った。

「“共同使用”というルールは、ある意味で理想的に思えた。なぜなら第一に、それで他の女と真面目な付き合いをしないですむかもしれず、また第二に、ロックンロールの“精力”を腐らせないですむ(略)からだ」

 EL&Pは、イエス、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと並びプログレッシヴ・ロック史を代表するスーパーバンド。グレッグとカールは後にエイジアでも活躍し、グレッグはEL&Pの前にはキング・クリムゾンにも在籍していた。3人とも正真正銘のレジェンドなのだが──。

 自伝ではこのバンド内のルールにまつわるさらなるどぎついエピソードが続くのだが、ここでは遠慮しておく。

日本での初体験

 EL&Pはもちろん日本にもやってきた。1972年の初来日では当時読売巨人軍がホームグラウンドにしていた後楽園球場に3万5000人のファンを集めている。関西では、阪神タイガースの甲子園球場でコンサートを行っている。

 この2公演はロックファンの間ではいまも伝説として語られている。

 7月22日の後楽園球場公演は大雨に見舞われ、キースは豪雨のなか水たまりに仰向けになってキーボードを弾いた。24日の甲子園球場公演では興奮した観客がステージに押し寄せ、メンバーはライヴ中に退散した。逃げ遅れて一人でドラムスを叩き続けたカールは、キースとグレッグに激怒している。

 キースは妻のエリノアを伴っての来日であるにもかかわらず「ソニーの工場でミーティング」だと嘘をつき「日本の風呂屋」を体験しに出向く。その思い出も自伝に書かれている。

「私が浴槽に座って、新しい歯ブラシで歯磨きをしていると、その間にエア・マットレスが膨らまされ、そこが石鹸の泡で浸された。私はその間、その個室にある滝を眺めていた」

 女性からのサービスを伴う、この風呂屋がどういうところなのかは、おわかりいただけるだろう。

 さらにキースは、一人の女性ファンと直接出会い、彼女の「初めての相手」もつとめている。

 東京でEL&Pが宿泊したのは赤坂のヒルトンホテル。現在のザ・キャピトルホテル東急だ。滞在中、ロビーに降りるといつも出待ちしている若い女性がいた。自伝によると、彼女を気にしているキースにファッションデザイナーの山本寛斎が気づいた。キースの挙動がおかしかったのだろう。寛斎は察して動いた。彼女をつかまえ、キースと会うことを交渉した。そつがない。

 キースと彼女は寛斎の自宅で対面する。そして、ホテルにアテンドされた。

 彼女の心配は、自分の抜け駆けをEL&Pファンの仲間に知られることだったらしい。知られたら殺される、と言った。

“儀式”を終えると、彼女は人目に付かないようにホテルの裏階段から去ったという。

 この話の後日談もある。

 18年後の1990年、EL&Pはすでに解散し、ザ・ベストというバンドで来日したキースは、ファンからの贈り物のなかに見事なフラワーデコレーションを見つけた。感激したキースが贈り主に電話すると、翌日直接挨拶したいと言われた。なぜだ──。不安を感じながらも、メディアのインタビューの間に数分の面会に応じた。

 そこに現れたのは18年前の彼女だった。キースの記憶のなかに、1972年の夏の夜の出来事が鮮やかによみがえった。

「覚えてます?」

「もちろんだよ」

「あのとき私は、まだ若かったんです」

 二人は短い会話を交わした。

「私はそれ以上彼女と関係を持つ気はなかったし、彼女の方にもその気はなかった。ただ彼女は、私と再会できて、しかも私が彼女のことを覚えていたので、嬉しかったのだろう。私も嬉しかった」

 そうキースはつづっている。

 2016年3月11日未明、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカの自宅でキース・エマーソンが亡くなっているのが発見された。頭部を自ら銃で撃っていた。発見したのは同居していた日本人女性だった。

 常にキースの頭の中にいたグレッグ・レイクやカール・パーマーをはじめ、数多くのミュージシャンが追悼のコメントを寄せた。

 なお、彼の音楽を知らず、ここまでのエピソードだけで判断すると、とてつもなく不真面目な不届き者と思われるかもしれない(筆者のせいである)。しかし、当然ながら音楽に対しては非常に真面目で、2010年、筆者がインタビューした際には、時代や国境を超えて聴き継がれる音楽の条件、といったテーマに正面から答えてくれていた。曲を作る際に、「頭の中で歌っている声はいつもグレッグ・レイクだ」という言葉が印象的だった。

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